「ねえ聞いて、短歌のような詩があるの!」ウンガレッティを読む君の熱
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さえき奎(けい)

薄明光線を撮ろうとしていたら突然雲に孔が空いて「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲みたいに強烈な陽光が放出された。
「ねえ聞いて、短歌のような詩があるの」。いつものようにエリートに入って席に着くなり鞄からノートを取り出すと、しーちゃんは堰を切ったように早口でそう言った。そうしてノートを開くと一篇の詩を僕に読んでくれた。「摘んだ花ともらった花との間のいいようのないむなしさ・・・」。「えっ、それだけ?」「そうだよ。タイトルは『永遠』って言うの」。僕も口に出して読んでみた。すごくいい。今まで読んだことも聞いたこともないような不思議な感覚を抱かせてくれる詩だ。それが僕とイタリアの詩人ジュゼッペ・ウンガレッティの初めての出会いだった。その後もしーちゃんはノートに書き写した他の「短歌のような」詩を次々に読んで聞かせてくれた。「いいでしょう? 絶対気に入ると思った」「短歌のようなって例えはおかしいね。短詩って呼んでいいのかな」「摘んだ花ともらった花って何だと思う? 何かの比喩なのかなあ」「漠然とは感じるんだけど、この永遠って何だろうね。ずっと考えてるの・・・」。ウンガレッティを熱っぽく語るしーちゃんは、いつものクールでお姉さん然としたしーちゃんとは少し違って見えた。
以来、ウンガレッティは僕のお気に入りの詩人の一人となった。彼は、簡潔のうちにも伝統的手法を超越した個性的な表現力によって20世紀イタリアの最高の詩人とも、20世紀文学界の巨人の一人とも言われている人だ。
"Eterno"
Giuseppe Ungaretti
Tra un fiore colto e l'altro donato
l'inesprimibile nulla
「永遠」
ジュゼッペ・ウンガレッティ
摘んだ花ともらった花との間の
いいようのないむなしさ
(三浦逸雄 訳)
出典:世界名詩集大成 第14巻 南欧・南米編(平凡社 1960年刊)
何が永遠なのか・・・。「摘んだ花」と「もらった花」の間が永遠なのか、そこにある「いいようのないむなしさ」が永遠なのか・・・。いや、そうではなくタイトルの「永遠」を含む詩全体のうちに永遠が醸し出されているのではないのか、あるいは、そもそも花は何かの「メタファー」じゃないのだろうかなどと何度もしーちゃんと語りあった。「これだ!とは言えないんだけれど、読んでみると確かに行間から『永遠』を感じるんだよね」「行間って2行しかないけど、その2行の間にとてつもない広がりが存在するのかも・・・」「お前らには『永遠にわからんだろう』なんて意味かも知れないよ」などというところが二人のとりあえずの「ぼんやりとした」結論だった。
その後、イタリア文学者でウンガレッティ研究の第一人者とされる河島英昭氏が「全詩集」を翻訳、刊行されたので買い求めてみると・・・。
「永遠」
摘みとった花と贈られた花
その間にいいあらわせぬ虚しさ
(河島英昭 訳)
出典:『ウンガレッティ全詩集』(筑摩書房 1988年刊/岩波書店 文庫版 2018年刊)
うーん、どうだろう。三浦逸雄先生の訳のような「永遠」性というかそんな雰囲気があまり感じられない。それ以前に読んでいて心にストレートに響いて来ないような気がする・・・。まあ、最初に触れた翻訳は脳裏にしっかりと刷り込まれてしまっているということもあるだろうし、そもそも翻訳と翻訳を比較してあれこれ言ってみても始まらないとは思うのだが、イタリア語はまったく理解できないのでどうしようもない。
「永遠の」
摘みとった花と 買った花との
あいだには いいあらわせぬ 無が
(須賀敦子 訳)
出典:『イタリアの詩人たち』(青土社 1998年刊)
こちらは同じくイタリア文学者の須賀敦子氏の訳。タイトルが「永遠の」になっているのと「もらった花」「贈られた花」が「買った花」になっているのがまず目につく違いだ。それとスペースを入れたのはなぜだろう。まあ、「もらう」にしても「贈られる」にしても、まず「買う」んだろうからそれでいいのかなとも思ったが、要はもらうにしても買うにしてもこの詩の「主体は誰なのか」という問題だよね。考えても埒が明かないので、とりあえずイタリア語→英語翻訳して確認してみる。うーん、これは「もらった花」でいいんじゃないかなあ・・・。それにしても、たった二行の短詩でさえ翻訳によってこれほど受けるイメージも響きも違って来る。翻訳って本当に難しいし怖いものだと思う。
しーちゃんはノートに何篇ものウンガレッティの詩を書き写していた。一度「本を借りたらいいのに」と言ったことがある。しーちゃんは「いいの。こうすれば覚えるし、自分のものになるような気がするから」と言って微笑んだ。そうなんだ。「書く、書いてくれる」ってことがしーちゃんの「素敵な標準仕様」なんだよ。あのインク、あの筆跡でね。話が一段落するとし-ちゃんはいつも「知りたいなあ、あの永遠が・・・」と呟いた。僕は、ウンガレッティを熱く語るしーちゃんの熱を確かに感じながら「この時間が永遠に続いてほしい」と願った。


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