【改訂版】 ちょっといいエピソード ── 春採湖畔にある我が故郷釧路の老舗蕎麦屋のことを書いてみる

「消滅飛行機雲」というのは、実は「穴あき雲」の一種だ。英語で飛行機雲を"Contrail"と表記するが、消滅飛行機雲は"Distrail"となる。つまり「痕跡」や「軌跡」という意味の"Trail"に「協調・肯定」と「排他・否定」を意味する"Con"あるいは"Dis"という接頭辞が付いた単語ということなんだが、この辺り欧米語の構造はシンプルで分かりやすい。"Distrail"の訳語が「消滅飛行機雲」というのもイマイチなんだが、もう一つの逐語訳的「反対飛行機雲」よりは余程ましだと思う(「反飛行機雲」ならまだしも「反対飛行機雲」では、あまりにも国語センスが欠如していると言わざるを得ない)。まあ、それはともかくとして、この画像には3本の消滅飛行機雲が写っている。画像の下辺中央やや左寄りから左辺中付近へややカーブしながら斜めに横切るものが1本、帯状の高積雲の上辺付近に沿ってDistrailが2本確認できると思う。
以前の記事で何度も書いたが、北海道は日本有数の海の幸、山の幸の味覚を楽しめるところだ。このことについては誰も異存がないだろう。その中でも我が故郷釧路は、群を抜いて美味いものがわんさかとある街である。ラーメンもある、勝手丼もある、寿司も旨い、炉端焼きはいうまでもない、知る人ぞ知る釧路人のソウルフード泉屋総本店のスパカツなどなど、枚挙に暇がないほどだ。(参照:釧路市レストラン「泉屋」のスパカツ ── こんな日は、故郷のソウルフードを再現してみるのもいい)
そして、もう一つ忘れてならない名物が蕎麦である。そもそも蕎麦の本場は北海道である。観光地の街道沿いに、蕎麦一杯で二千円もぼったくるような店が軒を連ねる、自称蕎麦処を標榜する某県とは本質的に異なる真の意味での蕎麦処である(年収穫量は約1万8千トンで某県の約8倍、全国シェアは50%超)。釧路人はラーメン愛の人たちだが、同じように蕎麦も愛しているのだ。
その「釧路の」というより、北海道でも老舗中の老舗の蕎麦屋が明治7年創業の「

「定番メニューのもりそば」 更級の新蕎麦をイメージしてクロレラで翡翠色に着色されている。釧路人にとっては、これがノーマルでデフォルトな蕎麦の色だ。
画像出典:竹老園 東屋総本店公式ホームページ
その辺りのことを語り始めると話が尽きそうもないので、そろそろ本題に移らせてもらうことにする。今を去ること六十余年、昭和天皇は、終戦直後の昭和21年(1946年)2月から約9年をかけて日本全国を巡幸、国民を慰め励まされた。そして昭和29年(1954年)8月16日のこと、その一環として来道された両陛下は釧路へとお出ましになった。御宿は釧路市内の「六園荘」という老舗の料亭で、そこから東家三代目伊藤徳治の元へ、両陛下に蕎麦を御膳上げしてほしいとの要請があった。六園荘の調理人が腕によりをかけて誂えた会席料理は、めふん(雄の鮭の血腸[腎臓]を使って作る塩辛で珍味とされる)和え・三平汁・ほっけの刺身・さんまの塩焼き・タラバガニなど十二品。そのコースの〆として伊藤が打った「蘭切りそば」(卵黄を練り込んだ蕎麦なので"卵"を洒落て"蘭"に置き変えたネーミング)を御膳上げするという大任である。以下、ドキュメンタリー風にその時の様子を再現してみたいと思う。
当初はコースを御膳上げにと考えていたが、宮内庁主膳部の内規によって生姜、酢、わさび、葱の薬味は全てご法度となり、茶そばに使う抹茶も昂奮作用があるということで、献立は「蘭切りそば」と薬味として大根おろしのみということになった。夕餉が始まり、調理場に控える徳治。やがて支配人が顔を見せ、徳治の姿を認めるなり「伊藤さん!」と呼びかけた。つかつかと歩み寄りながら、真剣な面持ちで「伊藤さん、陛下が、陛下が・・・」と繰り返す。この時の伊藤徳治の胸中はいかなるものであったであろうか。「嗚呼、俺は一体何をやらかしたんだ。東家も俺の代でおしまいか・・・」などと悲嘆にくれたであろうことは想像に難くない(というこの"くだり"については、あくまでも筆者の想像、つまりフィクションであることをお断りしておく)。
支配人は伊藤の前まで来ると「陛下が・・・」と繰り返し「陛下が、お代わりを所望しておられます」と結んだ。徳治は、自分の打った蕎麦を御膳上げするばかりか、陛下がお代わりを召されるというというこの上ない栄誉に与った感激の涙で、しばらくの間眼を開けることが出来なかったという。釧路人なら誰もが知っている、ちょっといいエピソードである。



画像上:竹老園 東屋総本店
画像下左:両陛下に御膳上げされた「蘭切りそば」。現在もメニューにあってオーダー出来る。
画像下右:変わらぬ人気メニュー「そば寿司」。
画像出典:竹老園 東屋総本店公式ホームページ
現在の竹老園東屋総本店は市内の春採湖畔に建つ、二代目伊藤竹次郎が隠居後の住まいとして建てた屋敷を改装した店舗で、立派な庭園もある。「竹老園」の名はそのことに由来する。俺の母校は、現在は近傍の別の場所へ移転したが、この竹老園東屋総本店からほど近い春採湖を望む丘の上にあって、卒業アルバムの集合写真はこの庭園で撮影するのが慣例となっていた。そういう意味でも、懐かしく思い出深い場所である。
"春採湖のローレライ"は、いつの間にか僕の漕ぐボートに乗っていたんだ。あまりにも美しく眩しくて、このまま湖に呑まれてしまってもかまわないと本気で思ったんだよ。
ヤバいってグラリくらくら
出典:「しーちゃんと僕 ── 春採湖のローレライ」

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