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誰そ彼(たそがれ)時・彼は誰(かわたれ)時・逢魔(おうまが)時 ── 次の世代に残したい言葉

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さえき奎
逢魔時(おうまがとき)序章「逢魔時(おうまがとき)序章」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f8, 1/60sec., ISO100, WB:Daylight
黄昏とは日没直後のまだ夕焼けの名残の赤さが残る雲のない空を指して言うそうだから、まだ陽が沈んでいないこのカットは黄昏ではないがこのまま暮れて行けば黄昏になるという段階だ。ちょっと洒落れこんで言えば「黄昏序章」といったところだろうか。

 厳密な定義では黄昏とは、日没直後のまだ夕焼けの名残の赤さが残る雲のない空を指して言うらしい。つまり夕焼け雲なんかがある空は黄昏とは呼ばないということだ。手持ちの画像をざっと探してみたが一向にそのような夕空のカットが見当たらない。よく考えてみれば、そんな面白みのないというか趣のない空にカメラを向けるはずもなく、何とか見つけたその定義に近い空が上掲の一葉である。
 「たそがれ」「たそがれどき」は元々あたりが暗くなって人の顔の識別がつかなくなった時「誰(た)そ彼」(誰ですかあなたは)と互いに尋ね合ったことが語源とされている。同様に「かわたれ」「かわたれどき」(旧仮名遣いでは「かはたれ」「かはたれどき」)という言葉があり、こちらは「彼(か)は誰」(あなたは誰ですか)という意味である。本来「たそがれ」も「かわたれ」も、夜明け前や日没後の薄明の頃合いを指して区別することなく用いられてきたが、後に「たそがれ」が日没後「かわたれ」が夜明け前と区別されるようになったとされている。しかし、北原白秋の『片恋』には「あかしやの金と赤とがちるぞえな。かはたれの秋の光にちるぞえな」とある。これは明らかに夕景だと思われるので、少なくともこの時代あたりでも朝夕の区別なく使われることはあったようだ。
 「たそがれ」は現代でもバリバリの現役というより、老若男女の別なく人気があって広く使われている言葉であるのに対し「かわたれ」の方は瀕死の状態にあるといっても過言ではない。もはや「死語」に分類する向きもあるようだ。少し古い詩集や歌集・句集を紐解いてみれば、そちこちで普通に使われているようにみえる。急速に廃れてしまったように感じるのは何故なのだろう。言葉の響きとか語感の問題なのか。「かわたれ」も十分魅力的で美しい響きを持っていると思うのだがどうなのだろう。
 もう一つ「逢魔(おうまが)時」という言葉がある。別に「大禍時(おおまがとき)」と書かれる場合もあるが、黄昏時の異称で魔物や禍(わざわい)に遭遇する頃合いと信じられていたことが語源らしい。昼が夜に移行する時間帯という意味合いから、現世(うつしよ)と常世(とこよ・つまりあの世)が入れ替わる時になぞらえたとも言われている。つまりその境目は魑魅魍魎が跋扈しはじめる頃合いでもあるということだ。そういうことからも、子供らが夕方遅くまで遊ぶことを戒めるためにも盛んに用いられていたようだ。街灯もなく住居の灯さえ乏しく、今とは比べようもないほど夜が暗かった時代には、おそらく現実感のある言葉として受けとめられていたに違いない。もっとも『三丁目の夕日』の世界くらいに時代が下がると、逢魔時には「魔物に遭う」という戒めに併せて「人さらいが来る」とか「サーカスに売られる」(サーカス関係の方、ごめんなさい。全く信じていませんのでご容赦のほどを)などというエピソードも登場してくる。さらに下って、ますます昼と夜の境がなくなっている現代では「逢魔時」も急速に死語に近づいている言葉なのだろう。何とか次世代に残してやりたいと思うのは、私だけのノスタルジックな感傷に過ぎないのだろうか。

暁のかはたれ時に島蔭を漕ぎにし船にたづき知らずも

あかときのかはたれどきにしまかげにこぎにしふねにたづきしらずも

早暁の薄明のなか島陰を漕ぎ出して行く舟の何とも心許ないことよ

引用:万葉集第二十巻 池田得大理
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さえき奎
Posted byさえき奎

Comments 4

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さえき奎
さえき奎  
Re: 黄昏のその先

がちょーさん、こんにちは。

> 生きていたら明日もお逢いしましょうねーー

今日もお逢いできてうれしいです(笑)。でもそれほどの被害も出なかったのは不幸中の幸いでしたね。

> 黄昏とは日没直後のまだ夕焼けの名残の赤さが残る雲のない空を指してましたか!!
> これにはビックリでしたよ;
> 夕焼けも黄昏と私は勝手に解釈しておりました
> でもいいじゃないですかー

もちろんですよ。おそらく定義好きの学者サンかお役人サンが言ってることだと思いますので。記事にも書きましたが、そんなソラにはあまりカメラを向けようという気持ちも起こらないですし(笑)。

> 夕暮れに浮かぶ雲と空をぼーっと鑑賞をすると
> 以外にも黄昏も発生いたしますよ^^

黄昏という言葉もいいんですが、茜空と茜雲も負けずにいい言葉です。こっちはちゃんと雲もOKですから(笑)。

2019/06/20 (Thu) 12:42 | EDIT | REPLY |   
さえき奎
さえき奎  
Re: こんばんわ!

ねこニャン’19さん、こんにちは。

> たぶん・・夜明け前に起きて活動している人より、日没後は活動時間の人が多いからでは?
> 電気などがなかった時代は、太陽と共に人々も生活(活動)していたと思うので・・

あ、なるほど。これ多分正解だと思いますね。昨日の万葉集の防人の歌なんかも、正にかわたれ時にすでに仕事をしていたからこそあの歌が詠めたわけで・・・。でも現代の詩人や歌人、俳人たちにはこの言葉やそういった感性を失ってほしくないと思いますね。

> でも、生活リズムとしては、絶対に電気などなかった時代の方が身体に優しかったと思います。

そうですね。宵っ張りの私には何だか耳が痛い話ですが(笑)。

2019/06/20 (Thu) 12:33 | EDIT | REPLY |   
がちょー  
黄昏のその先

黄昏とは日没直後のまだ夕焼けの名残の赤さが残る雲のない空を指してましたか!!

これにはビックリでしたよ;
夕焼けも黄昏と私は勝手に解釈しておりました
でもいいじゃないですかー
夕暮れに浮かぶ雲と空をぼーっと鑑賞をすると
以外にも黄昏も発生いたしますよ^^

その黄昏は自身を気持ちよく導く、ひとつの起爆剤のひとつかも知れませんよねv-291

ちなみに秋の空の黄昏も意外とセンチメンタルにもつながりました(*^-^*).
私もよく黄昏ネタは自身のブログでアップしておりましたよwww


2019/06/19 (Wed) 22:47 | EDIT | REPLY |   
ねこニャン’19  
こんばんわ!

たぶん・・夜明け前に起きて活動している人より、日没後は活動時間の人が多いからでは?
電気などがなかった時代は、太陽と共に人々も生活(活動)していたと思うので・・
でも、生活リズムとしては、絶対に電気などなかった時代の方が身体に優しかったと思います。

2019/06/19 (Wed) 22:16 | EDIT | REPLY |   

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