空と短歌をめぐる究極の選択

昨日、今日と連日面白い雲が湧いては消え、湧いては消えして、けっこう慌ただしい日々を過ごした(笑)。昨日は3時間、今日は2時間くらい外にいた(笑)。ただ、長い時間外にいて撮影していたからといって、よい写真が撮れるかというと決してそんなことはない(笑)。ただ惰性で撮っていることもあるし、長雨が続いた後の晴れ間だったりすると「
こういうこともある。俺は雨が降っていたり本曇りでもない限り、毎日10~20分おきに空のチェックをしている。そういうことを毎日繰り返していると、何十回に一回くらいは幻日とか環天頂アークのような大気光学現象に遭遇することもあるので、即カメラを出してベランダへ直行する。そんな時、本当に希なんだけど、大気光学現象を見た瞬間に頭の中に短歌や短歌のモチーフとなるフレーズが閃いたりすることがあるんだよね。大気光学現象発見の刺激で、脳内の短歌思考回路にスイッチが入るのかも知れない(笑)。で、どうするか? 歌をメモるか、カメラを抱えて飛び出すか? 究極の選択を迫られることになる。メモってから飛び出せばいいってか? 甘いよ(笑)。大気光学現象って出現が希というだけではなく、そのもの自体が実に儚い刹那的現象なので、あっという間に消えて行くことも珍しくない。見つけて即飛び出しても、影も形もないなんてことだってしばしばあるからさ(笑)。
まあ、そんな事情なので、たいていは大気光学現象の方を優先する。で、撮影が終わって、あの短歌は、あのフレーズはどうだったかと思い出そうとするんだけど、覚えていた試しがないんだよね(笑)。車を運転中なんかでも、同じようなことがよく起こる。それが高速道路だったりすると停車してメモることも出来ない。下道に出て、いざ思い出そうとしても絶対に忘れているんだよね(笑)。あ、断っておくけれど、俺って記憶力にはそこそこ自信がある方なんだよ(笑)。うーん、最近はアルコールの過剰摂取の影響で、著しく低下している可能性は否定出来ないんだけどさ(笑)。そういうことがあると、二、三日は、ああでもなかった、こうでもなかったと悶々とした日々を過ごすことになる。ほら「逃がした魚は大きい」なんて言うじゃないか(笑)。どうせしょーもない歌しか詠めないやつに限って、そんな誇大妄想を描いたりするので、困ったものだ(笑)。実は、数日前にもそんなことがあった。三日かけて、何とかうろ覚えの記憶を繋ぎ合わせてみた一首がこれ。
橋をゆく面影あわく声を聞く 時はゆくゆくただ千鳥なく (まるひら銀水)
出典:『さえき奎の頭の中の切れ切れの記憶の貼り合わせ』
言葉遊びじゃないからね(笑)。うーん、でも、何か違うんだよね。俺の故郷釧路を詠んだ啄木のあの有名な一首にインスパイアされて「千鳥」を入れたということは覚えているんだが、何というか、しょーもない歌なりにもうちょっと冴えた言い回しだったような気もするんだけれど・・・。あくまでもそんな気がするだけで、永遠に思い出せないような気もして来た(笑)。

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