【改訂版】 デジタル一眼レフとわたくし ── 「滝撮る化石」はこう変貌した

カメラがデジタル時代になって一番ありがたいこと、それは「現像しなくていい」ところだ。いや、正確に言うと、銀塩フィルムのような化学的な現像は不要だが電子的な現像はしているので「現像を待たなくてもいい」または「自分で現像できる」ところと言うべきだろうか。銀塩時代、36枚撮りリバーサルフィルムが10本くらいまとめ買いすれば800円/本、現像代が1,000円/本程度だった。1本当たりのコストが1,800円で、まあ決して安いものではないがネガフィルムの現像代を含む同時プリント料金ともそれほど違わないし、朝出せば夕方には受け取れたので特に不便だとも感じていなかった。写友の中には一日10本も15本も消費するやつもいたが、遅撮りの俺は(俺はとても奥ゆかしい人間なので「一写入魂」で撮っていたからなどとは口が裂けても言わないのだ(笑))、せいぜい3本、頑張っても5本が精一杯だった。3本とはいっても、ほぼすべてのカットに3段階のAEB(Auto Exposure Bracketing=自動段階露出撮影:一度のレリーズで自動的に適正→アンダー→オーバーと露出をずらして連続撮影してくれる機能)を使うので36枚撮りといっても実際には12カット分/本だ。だから一日粘って3本使ってもせいぜい36カットしか撮っていない計算になる。それだけに、現像が上がって来て期待と不安の気持ちでルーペを覗き込む瞬間のことは忘れられない。しかし、毎回満足できるものはせいぜい2カットか3カットで、残りは「こんなはずじゃなかったのに」と失意のどん底に突き落とされるのが常であった(笑)。実はそこからが大仕事で、画像をデジタル化するためにフィルムスキャナーでスキャンして、レタッチするという行程が必要だった。今考えれば信じられないような手間暇をかけて、余計な作業を延々とやっていた。その手間暇かけて捻り出した画像が、ちゃちゃっと撮ったコンデジのJPEG画像とたいして変わらないと知った時の俺のショックをわかってもらえるだろうか(笑)。
それまでの愛機EOS-1Nが不調になって期待の新鋭機EOS-1Vを購入した時、既に巷では「銀塩最後のフラッグシップ機」などという噂もあるにはあったがとても信じる気にはなれなかった。既にコンパクトカメラはデジタル機が席巻していたが、一眼はまだ100万円を超えるような機種しかなく、それも銀塩フィルムを凌駕する画質だとはとても言えるようなレベルではなかったからだ。だが、それから1年もしないうちに「もしかしたらそうなるかも・・・」に変わり、2、3年すると「もう間違いないな」と確信するに至った。かくてその噂は現実となり、写真界はプロからハイマア層まで巻き込んで一気にデジタル時代へと突入して行ったのはご存じのとおりである。
しかし、俺はそれからもずっとEOS-1Vを愛用し続け、写友たちからは「滝撮る化石」「銀塩原理主義者」などと呼ばれていた(笑)。リバーサルフィルムの入手が次第に困難になり、近くに現像をやってくれるところがなくなって初めてデジタルに移行した。最初は写友のお下がりのデジ一眼を格安で譲ってもらい細々と空を撮り始めたが、既に所有していたコンデジと比較して、もちろん優れていることは優れているのだが「期待したほど」でも「驚くほど」でもなかった。まあ、譲り受けた時点ですでに二世代前の旧モデルだったわけだから当然と言えば当然なんだが「デジ一眼ってこんなもんなの?」などと変な刷り込みをされてしまった(笑)。その認識が一変したのは、三年前清水の舞台から飛び降りるような決意でEOS 5Ds Rを購入してからだ。ローパスフィルター効果をキャンセルした有効画素数5060万画素のフルサイズセンサーは伊達じゃなかった。何という解像力、何というワイドなダイナミックレンジ・・・「こりゃあ、銀塩が滅びるはずだわ・・・」「滝撮影行をしていた時にこれが欲しかった」と切に思わせてくれた。まあ、正直言うとソラを撮るにはオーバースペックだと思わないでもないのだが・・・(笑)。それはともかく(もう買ってしまったもんで)、せっかくの高画質を生かすためフルのRAWデータ(8688×5792画素)に設定しているので64GBのCFカードでも800枚しか撮れない(1枚あたりの容量が50MBある)が、それでも36枚撮りフィルム換算で22本分である。AEBなんぞ使う必要もないから銀塩時代と比較したら60本くらい持ってる感覚だ。
かくして今俺はソラを相手に心ゆくまでバシャバシャとやっている。どうってことのない巻雲でも即座に20カットくらい撮るし、尾流雲やら穴あき雲などちょっとレアな雲ならすぐに100カット、幻日や環天頂アークなどの大気光学現象が出ようものならすぐに200~300カット撮ってしまう。時間との闘いなので、フィルムの残りや現像代を気にしたりしなくてもいいのがありがたい。銀塩時代だったら、撮影しながら無意識のうちに「これで1,800円×3本だから、これ以上撮ると今月は厳しくなるかな・・・」なんて計算してはちょっとレリーズするのをためらったりしていたんだろうなあ、きっと(笑)。もしかしたら、ソラ屋さんという人はデジ一眼なしでは存在し得なかった人なのかも知れない(笑)。

↑ 大変お手数ですが、 ワンクリック のご支援をお願いたします! 「にほんブログ村ランキング」に参加しています。みなさまの ワンクリック のご支援が何よりの励みになります!
- 関連記事
-
-
【改訂版】 デジタル一眼レフとわたくし ── 「滝撮る化石」はこう変貌した 2021/02/26
-
【改訂版】滝屋とソラ屋はどこが違うか? ── 星冴ゆる夜、グラス片手にグダグダと書いてみる 2021/02/16
-
【改訂版】 大気光学現象の撮影は危険がいっぱい ── 気をつけよう、明るい光と足元に! 2021/01/05
-
【再掲】 何度でも言うけれど、大気光学現象の撮影は「危険がいっぱい!」 2020/09/15
-
【再掲】 君もおそらく感染者だ!── フォトグラファーに蔓延する厄介なビョーキ 2020/09/11
-