「武士は食わねど高楊枝」は、いつの間に「見栄っ張り」のことになったんだろう?

「毛状巻雲と消散寸前の巻積雲」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/250sec., ISO100, WB:Daylight
太陽が四日振りに顔を出したと思ったら一日だけだった。今日は、朝からまた時雨模様のどんよりとしたソラに戻ってしまった。これってさ、どう天気図を見ても山茶花梅雨というよりも秋雨(「秋霖(しゅうりん)」って言葉使いたいなあ)のパターンだよね。やっぱり、最近の気候っておかしいよ・・・。
サラリーマンやっていた頃、俺がOJT("On-the-Job Training"[オン・ザ・ジョブ・トレーニング]つまり現任訓練のことで、職務現場で実務を通じて行う実践的教育プログラムのこと)を担当していた入社二、三年といったところの若い後輩たちと飲み会をやった時の話をしてみようと思う。すごく真面目で熱心な子ばかりで、様々な分野のいろんな話題が出て楽しい飲み会だった。その中で、座右の銘というか好きな格言というか、そんな話になったんだよね。めいめいが自分の思うところの座右の銘やそのきっかけとなったエピソードなどを紹介して、俺の方にも話が振られた。まあ、俺の気に入っているいくつかの格言とかを話したんだけど、その中の一つに「武士は食わねど高楊枝」を挙げたんだよね。そしたら、みんなちょっと怪訝な顔をしている(笑)。メンバーの中でも一番クレバーな感じのする女性に「さえきさんって、全然そんな感じに見えないので意外でした」みたいなことを言われたんだよ(笑)。「ジョークというか、反語的な意味で言ってるんですよね?」なんてことを言うヤツもいてさ、ちょっと話が噛み合っていないなとは思ったけれど、適当に受け流してとりあえずその場は終わった。
後で調べてみたら、何と「武士は食わねど高楊枝」って、今時の若者的には「やせ我慢して、見栄を張っている」という意味で捉えられているということがわかった。これはかなりの衝撃だった(笑)。現代的には若者に限らず、外面的にプライドばかりを気にするというか、格好だけつけようとする行為を馬鹿にするような風潮になっているから、この誤解はそんなところから来ているんだなと思ったりもした。まあ、俺も「外面的プライドや格好ばかり気にする」ことなんかは馬鹿げていると思うし、それについて異論はないんだよ。某隣国人みたいに「体面やプライドが全てに優先」して「見てくれがその人の全て」なんてことを本気で思っている連中だって現実に存在することだからさ(笑)。だけど「この言葉の解釈」として、それは完全にはき違えだし、間違っている。これは、もっと崇高な意味で、人間として尊厳や美徳を失うことを戒める言葉なんだよね。このブログ読んでくれている方たちならわかってもらえると思うけれど、直接的な意味では「武士は空腹でぶっ倒れそうな時でも、爪楊枝くわえて腹一杯だってふうに装って、みっともない姿を人前に晒さないように心がけるべきだ!」つまり「武士として、人間としてどんな時でも尊厳を保て!」ってことなんだよ。
ちょっと一例を挙げてみる。「日本昔ばなし」的なシーンを思い浮かべてほしい。食うや食わずの赤貧の家庭、しかし武家の出である母親は誇りだけは失わず凜として生き、わずかな日々の糧もすべて子供に与えている・・・。
子:おかわり!
母:はいはい。でも、これでおしまいだよ。ごめんね。
子:母ちゃん、どうして母ちゃんは食べないの?
母:母ちゃんは、さっきお腹いっぱい食べたから心配しなくていいんだよ。
なんて話と根っこは同じことなんだよ。「見栄を張る」とか「やせ我慢する」とか、そういうこととは全く無縁というよりむしろ正反対の言葉だってことわかってもらえるだろうか。繰り返しになるけれど「それが子供であろうとよそ様であろうと、自分以外の人には見苦しい姿を見せるな」ってことなんだね。パヨク的には(昔風にいえば「マルクス主義者的」には)すごく面白くない話だってことはわかるよ(笑)。そういうこととは関係なく、もしかしたら、その意味を知った上でも「くだらん考え方だ」なんて思う人がいるかも知れない。「くだらん」とまでは行かなくても「水くさいじゃないか」なんてきれいとごとを言う人もいるかも知れない。だけど、人間関係においては、よほどのことでもない限り、大切な間柄であればあるほどむやみに頼れないし、頼るべきではないと俺は思っている(「絶対に頼ってはいけない」なんてことを言ってる訳じゃないんで、そこんとこよろしく)。だから「高楊枝」なんだよね。俺にとっては、昔から変わることなくこれが座右の銘だからさ、実践出来ているかどうかは別として、俺自身は「かく在りたい」「かく在るべき」だとずっと思っているんだ。
ついでに、言わせてもらえれば「見栄」はともかく「やせ我慢」も俺的には決して悪いこととは思えないんだよね。むしろ「どれだけ『やせ我慢』を積み重ねて来たかで男の価値が決まって来る」んじゃないかと考えている。大事なことは、それを端目には「やせ我慢に見えないようにする」ことが粋ってものなんでさ、そのためのアイテムが「爪楊枝」なんだよ。それが出来ないなら男をやめちまった方がいい、俺はそう信じている。馬鹿げているといわれるかも知れないけれど、今はちょっとした我慢すら出来ない人間が、余りにも多くなってしまったような気がするしね。
前に書いた「意外でした」の彼女には、後になってこのことを話す機会があった。誤解は完全に解けたよ。すごくよくわかってもらえた。思ったとおり、クールでクレバーですごくいい女だったよ(しーちゃんには負けるけどさ)。それだけは彼女の名誉のために書いておく。

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