【再掲】本谷有希子原作 / 吉田大八監督の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 ── [映画について語ってみる 第2回]

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 2007年吉田大八監督作品
出典(フライヤー画像):株式会社ファントム・フィルム
たき:前回は『卒業』だったんですね。私も参加したかったです。
さわ:奎さんって邦画も観るんですか。
奎:若い頃は、って今も若いんだけどな(笑)、どっちかというと洋画専門だったけどこの頃は邦画の方が多いかな。今のは洒落じゃないから突っ込みはよせよ(笑)。それにしても最近の洋画というかハリウッド映画は何て言ったらいいのかなあ。本来大人向けの作品までどんどんお子様指向に陥っているように見えるし、もっとひどいのは度を越した中国ヨイショだ。いくらチャイナ・マネーに頼ってるからといってあれはねえわな。
たき:確かに最近は中国人俳優、中国系人俳優の露出の多さとは別に、かなり不自然で違和感のある中国礼賛シーンが目立ちますね。
奎:「何でここに中国が出て来るんだよ!」てな感じで、思わずのけぞっちまうまうような強引なシーンばっかだよな(笑)。『ゼロ・グラビティ』だとか最近だと『オデッセイ』なんかひどいもんだ。まあスポンサーなんだろうから多少のヨイショはやむを得ないとしても『ゼロ・グラビティ』みたいに事実を逆さまにしちまったらおしまいだよ。
さわ:あのう、またテーマから外れてますので議事進行を・・・。
たき:あ、そうですね。その話題はまた改めて(笑)。
奎:『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』あたりから邦画がどんどん面白くなって来て、この少し後で洋画と邦画の興行収入が逆転して現在に至っている。
たき:これって元々は舞台劇なんですね。
奎:そう。本谷有希子女史が主宰する「劇団、本谷有希子」で自ら書いたこの作品を演出して2000年に初演、2004年に再演されている。
さわ:本谷有希子さんってあの芥川賞作家の本谷さんですか。
奎:よく知ってるな。演劇の方でも岸田國士戯曲賞を受賞しているぞ。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』初演の時彼女は弱冠21歳、あの話を20歳(はたち)になったかならないかくらいのねえちゃんが書いてたんだから天才というより奇才と呼んだ方が正解だな。
さわ:すごいです。私も20歳(はたち)になるまでもっと勉強しなきゃ。
奎:それってお前の来世の20歳(はたち)という意味でいいかな(笑)。
たき:まあまあ(笑)。そうするとこの映画はお芝居の台本が元になっているんですね。
奎:いや、この芝居は本谷さん自身が2004年にノベライズしていて、吉田大八監督はそっちをベースにして自ら脚本を書いた。
たき:吉田大八さんって『桐島、部活やめるってよ』の監督ですよね。あれもよかったですねえ。
奎:そうだな。彼はもともとはCM出身の監督で、この作品が長編映画への初挑戦だったからその成否について否定的な見方をする向きもあったんだけれど見事にその才気と実力を見せつけたね。その後の活躍については『クヒオ大佐』『パーマネント野ばら』そしてその『桐島、部活やめるってよ』などでみんなも知っているとおりだ。
さわ:それでCMっぽいシーンがあるんですね。あのマンガのコマの中に動画が入っていたり、明和電機の土佐信道(小森哲生監督役)さんの顔がパカッと割れて佐津川愛美ちゃん(和合清深役)の顔が出てくるとことか。
たき:あれは面白かったですね。あと清深が書いてるマンガも怖かったですね。
奎:そりゃそうだ。プロのホラー漫画家、呪みちるさんが原画を書いてるからな。この作品、最初上映館数は決して多くはなかったんだが、評価が高まるにつれてじわじわと全国に拡大公開されて行ったんだ。俺は渋谷のシネマライズで観てたんだけど、エンドロールが終わって館内が明るくなるとどこからともなく「ふぅーっ」とか「ほぉーっ」という溜息とも感嘆ともつかない声が上がっていた。
たき:シネマライズって、メジャーじゃないけど優れた作品を上映してくれる劇場だったのに、3年前に閉館しちゃたんですよね。残念です。
さわ:この映画ってタイトルもすごいけど始まりも強烈でした。いきなりあれですから(笑)。
奎:あのシーンですら影が薄くなってしまうくらいその後の展開がすごい。それに監督の脚本の手腕もさることながらキャスティングも光っている。見事に個性派ばかり集めたね。おそらくこの四人でなければ成功はおぼつかなかったんじゃないかな。とてつもない自意識過剰と自己愛のモンスターである和合澄伽役のサトエリ(佐藤江梨子)は、地のまま演じてるなんてひどいこと言うやつもいたけどな(笑)。もし演技力抜群の女優があの役を演ったとしたらかえって不自然に見えたんじゃないかって気がする。あと、澄伽のオーディション・シーンでメガネかけた審査員を演ってたのは吉本菜穂子さんだ。この人は本谷さんの舞台では常連の女優さんで2004年の再公演では待子役を演っていた。
たき:和合宍道役の永瀬正敏さん、和合待子役の永作博美さんの評価も高かったですね。
奎:そうだな。それと清深役を演ったあいみんはこの作品辺りから若手演技派女優の呼び声が高くなって来た。「変なお姉ちゃんにいじめられる妹」役が続いたんでイメージが定着してしまわないかと心配してたんだ(笑)。
さわ:あいみん?佐津川愛美ちゃんのニックネームって確かさっつんじゃなかったですか。
奎:今はな。あいみんというのは彼女の10代の頃の愛称で、昔からのファンは今でもあいみんって呼んでるんだよ(笑)。
さわ:ちょっと待ってくださいね。えーと、奎さんは佐津川愛美のファンで、あいみんと呼んでいる・・・と。
奎:おい、何メモってんだよ?それにその黒革の手帖は何だ(笑)?
たき:そういえば佐津川さんも本谷さんのお芝居に出演されていませんでしたか?
奎:うん、『来来来来来』と『遭難、』に呼んでもらってたよ。本谷さんとはこの映画がきっかけで懇意になったらしいんだけど、若いうちに「劇団、本谷有希子」から声がかかるってのはすごいことだし、得がたい経験になっただろうな。彼女の演出って、それはそれは厳しいって話だからさ(笑)。
さわ:『遭難、』に出演。そうなんですかあ・・・。
たき:さわちゃん、寒いよ(笑)! えーと、そのあたりまで行くと止まらなくなりそうですので、映画のお話に戻らせていただきますね(笑)。澄伽が清深を熱湯責めにするお風呂のシーンはかわいそうだったです。
奎:あのシーンの撮影には丸一日かかって、あいみんはその間ずっと風呂につかりっ放しだったから、といってもまさか本物の熱湯ではないと思うけど、終わりの方では頭が朦朧としていたそうだ(笑)。
さわ:あれ、このフライヤー(上掲の宣伝チラシのこと)、スイカになってますけど実際はウナギを食べるシーンじゃなかったですか?
たき:そうそう、すごい山盛りの10人前くらいの蒲焼きだったよね(笑)。
奎:よく気がついたな。そこなんだよ。こっちの方はスチル映像なんだけど、これにスイカを出しておいて本編ではてんこ盛りのウナギを持って来る。観ていて「あれ?」と気がついた人だけにニヤリとさせる・・・そんな吉田監督一流のブラックなメッセージなんだろうな(笑)。
さわ:あ、ウナギとスイカって、もしかして・・・。
たき:食べ合わせの代表みたいなもんですね(笑)。
奎:はは、そのとおりだよ。まあ、食い合わせの生理学的な真相は置いとくとしてさ「こいつらはウナギとスイカみたいな家族だ」とか「この女たちを食うと腹を下すぞ」、あるいは「こんな映画を観ているあんたたちも腹壊したって俺は知らないからな」なんてメッセージなのかも知れんな(笑)。
さわ:待子さんが作ったあの呪い人形が不気味だったです。あ、あの歌も・・・風の子供は風地獄 びゅうびゅうびゅう びゅうびゅうびゅう・・・げろげろりん げろげろりん げろげろりんのげーろげろ・・・。
奎:おい、もうやめとけよ、薄気味悪い・・・しかしまあ、よく覚えているな(笑)。あの人形は映画のオリジナルで舞台にも小説にも出て来ない。人形一体一体全部に名前があったらしいぞ(笑)。ところでタイトルの「腑抜けども」ってのは誰のことだと思う。映画評のサイトなんかを読むと「いやあ、登場人物はみんな見事に腑抜けでした」なんて半可通なこと書いてる人もいたんだけど「腑抜け」の意味わかってんのかな(笑)。
たき:少なくとも三人の女はそれぞれ「行っちゃってる」人たちですけれど、絶対に腑抜けなんかじゃないですよね。
奎:それに関連するけど、ある映画雑誌で「幸せになってほしいヒロイン」とかいうアンケート特集があって待子さんがけっこう票を集めてたんだな。「グロい登場人物ばかりの中で待子さんの健気さに泣いた」とか「待子さんには絶対に幸せになってほしいと心から願った」なんてコメントしてたやつもいたよ。
さわ:えー、私三人の女の中でも待子さんが一番したたかだと思いましたよ。
奎:そのとおりだ。ちゃんと見ていればわかるよな。そもそも本谷作品の登場人物ってのは徹底して記号化されているから、一人一人のキャラに感情移入してもしょうがないんだよ。大体感情移入したくなるようなキャラっていやしないだろうが(笑)。「待子さんがかわいそう」なんて言ってる人の頭の中では、俺なんかとは全く違った『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』ワールドが展開されているのかと思うと、そこんとこだけちょっと覗いてみたい気もするけどな(笑)。
たき:待子さんってあの家に一人残って、萩原くん(山本浩司)なんかと結婚してそれこそ幸せに暮らしていきそうですね(笑)。
さわ:それ、面白いです。スピン・オフ作品作ってほしいです(笑)。
奎:となると「腑抜けども」が見えて来るだろう。
たき・さわ:宍道さんでーす!
奎:宍道ももちろんそうなんだが「腑抜けども」って言ってるだろ。
たき:複数ですね。ということは・・・。
奎:これはあくまでも俺個人の見解として聞いてほしいんだが「腑抜けども」というのは「世の中の全ての男ども」のことなんじゃないのかな。宍道は、後妻に入った母の連れ子という「出自についての煩悶」、父(義父だが)亡き後の一家の稼ぎ手という「家長としての煩悶」、妹たちを守らなければならないという「兄としての煩悶」、待子との関係における「夫としての煩悶」、澄伽との関係における「男としての煩悶」などなど、あらゆる煩悶を抱えさせられた「男」を象徴するキャラとして設定されているんだ。
たき:なるほど、その結果があの自殺とも事故死とも取れる急死という訳ですか・・・。それが悲しみの愛を見せたってことなんでしょうか。
さわ:そう言えば、宍道さんが亡くなったってのに待子さんはちっとも悲しそうじゃなかったですよね(笑)。
奎:この映画の登場人物でまともなやつなんて一人もいないだろう。女も男もどこか頭の配線が切れたり外れたりしてるんだが、それでも女はみなしっかりと前を向いてる。それが正しい方向かどうかは別にしてな(笑)。対して男はどいつもこいつも下か後ろを向いたどうしようもないクズばっかりだ(笑)。
たき・さわ:異議なしでーす!(笑)。
奎:まあ、それは全ての本谷作品に共通しているんだけど、ああやって男どもはみんな彼女に「笑い飛ばされて」いるんだろうなあって思うよ。それなのに、俺も紛れもないワン・オブ「男ども」なんだけど、本谷作品を観たり読んだりした後で「ああ、また笑い飛ばされてみたいなあ」なんて思ってしまうから不思議だよ(笑)。それが本谷ワールド、本谷マジックのとてつもない魅力ってことなんだろうな。
たき:男をマゾにしてしまう本谷マジックですか。彼女美人ですもんね(笑)。
奎:昔から、それはもう大勢の男たちが彼女に対して無償の愛を捧げ、陰に陽に支援をしていたってのは知る人ぞ知る有名な話らしい・・・うん。
たき:「うん」ってまさか奎さん(笑)。まあ、卓越した才能があって且つ美人だったら世間が放っておかないってことなんでしょうね。それにしてもうらやましい限りです。さて、チャットモンチーの主題歌「世界が終わる夜に」ですが、この曲にも強烈な印象があります。あの凄まじいドラマが終わりエンドロールが流れ始めてみんながほっとしているところにいきなりあれが始まるんですから・・・。
さわ:♪わたしがかーみさまだったらー、こんなせーかいはつくらーなーかーったー(笑)。
奎:それそれ「私が神様だったら、こんな世界はつくらなかった」てのがそのままこの映画のキャッチ・コピーになってるのがすごい。もう解散しちゃったけど作詞の福岡晃子、作曲の橋本絵莉子、二人とも実にいい仕事してるよな。キャッチと言えば、この記事の冒頭のフライヤーにもある清深の捨て台詞「やっぱお姉ちゃんは、最高にお面白いよ」や「お姉ちゃんは自分の面白さが全然わかってない!」もよかったし「何者かになろうとして何者にもなれないあなたの物語」ってのもあった。これは芝居の方だったかな。
さわ:言葉の一つ一つがグサグサと来ますね(笑)。
奎:大体あの三人の女は全員本谷有希子自身のことだと、確か本人がそう言ってたんじゃなかったかな。
たき:本谷さんってあの三人のキメラなんですね。なんだかわかりそうな気がします・・・。
奎:機会があったら小説や舞台と比べてみるのも面白い(舞台は再演時のDVDがリリースされている)。舞台は待子、小説は清深、映画では澄伽がフィーチャーされていてそれぞれ微妙に違う。さっきも言ったように吉田監督は小説をベースに脚本書いたんだけど、小説では清深が完膚なきまでに澄伽を叩きのめして終わるんで、映画では澄伽の復活というか第2ラウンドをほのめかすようなエンディングにしたらしい。まあ、この映画は、言うなれば本谷有希子の毒と吉田大八の媚薬がミックスされたとんでもない作品だと言えるんじゃないのかな(笑)。
さわ:ラストで澄伽が清深に「これからがおもしいんやから」って言ってたし、この後もずっと妹につきまとってやろうって気まんまんですもんね(笑)。
奎:でも、あの時清深が書いたお姉ちゃんは優しい顔になっていただろう。ああいうお姉ちゃんというか、女優になるのをあきらめてしまったお姉ちゃんは、清深にとってもう「最高に面白いお姉ちゃん」じゃなくなった訳だからあれからどうなるんだろうなあ、あのエレシュキガルとイシュタルみたいな姉妹は(笑)。
たき:じゃあ、最後にこれだけは聞いておきたかった質問で締め括らせていただきます。壊れていてしかもコンセントに入っていないのに回るあの扇風機の謎はなんですか。
奎:小説の帯にその答えが書いてある。「『あたしは特別な人間なのだ』ありえない自意識が、壊れた扇風機を回し始める」とね。
(こちらにも「映画について語ってみる」のページがあります)
チャールズ・ウェッブ原作 / マイク・ニコルズ監督の『卒業』 ── [映画について語ってみる 第1回]
ノーマン・マクリーン原作 / ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』 ── [映画について語ってみる 第3回]

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