I Wish I Were A Little Bird / 望み ── クリスティーナ・ロセッティの詩を読んでみる 第5回

「絶えて忘れつる儚き光彩(ひかり)」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f8, 1/1000sec., ISO100, WB:Daylight
「分裂して見える幻日」の「右幻日」編。但し、別の日に出現した幻日。
午後から急な所用があってあたふたと外出した。急ぎ用を済ませて時計を見るともう午後3時近い。せっかくここまで来たんだから「あのラーメンを食おう」と考えて車を走らせると何と臨時休業。では、次善策で「あのつけ汁うどんでも」と行って見るがここも臨時休業。まさかと思いながら向かった蕎麦屋も・・・ここは定休日(笑)。やっぱり台風の爪痕は深いな。しょうがないね。コンビニのおにぎりで今日の昼飯はオシマイ。
子供の頃の希望とか夢はとてつもなくでかかった。将来は宇宙飛行士か、はたまた冒険家かノーベル賞をもらうような科学者になりたいと真剣に考えていた(笑)。「プロの将棋棋士になりたい」なんてことも思ったな。成長するのと反比例するようにレベルが落ちてきて「気象大学校に入りたい」とか「一流企業に就職したい」なんてこと考えてるうちはまだましだった。そのうちに「売れっ子作家になって酒池肉林の太く短く堕落した人生で生涯を終えたい」とか「実は自分は大富豪の隠し子で、莫大な遺産が転がり込んできて贅沢三昧に暮らす」なんてアホなことを夢想するようになったりして(笑)。今じゃせいぜい「ジャンボ宝くじが2等くらいに当選して望遠ズームを買い換えたい」とかさ、携帯キャリアの「おたのしみキャンペーンで容量50GBが当たらんかな」なんて、落ちるわ落ちるわ・・・これってはたして「希望」なんていえるのか? 我ながら情けねーな(笑)。
"I Wish I Were A Little Bird"
Christina Rossetti
I wish I were a little bird
That out of sight doth soar,
I wish I were a song once heard
But often pondered o'er,
Or shadow of a lily stirred
By wind upon the floor,
Or echo of a loving word
Worth all that went before,
Or memory of a hope deferred
That springs again no more.
「望み」
クリスティーナ・ロセッティ
目に見えぬ空のかなたゆく
一羽の小鳥になりたい。
ただ一度聞いた後
いくたびも思い出される歌になりたい。
そよ風にゆれる
床の上の白ゆりの影になりたい。
過ぎた昔のすべてに値する
愛のことばのこだまになりたい。
忘れ果てて二度と生まれこぬ希望の
その記憶になりたい。
(三井ふたばこ 訳)
出典:『愛の名詩集〈世界編〉』所収 (昭和42年(1967年)講談社刊)
「のぞみ」
人目に見えず 天
小鳥にわれは ならましを、
ふとときめきし
心にやどる
また、吹く風に ゆれやまず
床にうつれる 百合の影、
はたまた愛の 囁きの
さらずば、絶えて 忘れつる
望みを偲ぶ 思ひ出に。
(入江直祐 訳)
出典:『クリスチナ・ロセッティ詩抄』所収 (昭和40年(1965年)岩波書店刊)
「ねがい」
見えなくなるまで舞い上がる
小さな鳥であればいい
たった一度の歌なのに
何度も心によみがえる
そんな歌であればいい
それとも床を
ゆらゆら揺らぐ百合の影
それともすべてが報われる
愛する人の言葉のこだま
それとも夢に見ながら空しく消える
この世の希望であればいい
(羽矢謙一 訳)
出典:『また来る春に会えるなら ロセッティ詩集』所収 (昭和56年(1981年)サンリオ刊)
三者三様で美しく優れた名訳であると思う。恥ずかしくて、あわよくば拙訳を載せてやろうなどという野望は微塵に打ち砕かれた(笑)。少し悩んだが、何れも甲乙つけ難く、すべての訳を掲出させていただいた。それぞれを全く別の詩として鑑賞していただくのも一興だと思う。
この詩も、しーちゃんが"Song"「私が死んでしまっても」と一緒に、わざわざ俺のためにあちこち探して、手書きの写しを渡してくれたクリスティーナの詩の一篇だ。この詩は彼女が23歳の時書いたもので、生前は未発表の作品だった。"Song"「私が死んでしまっても」のように直接的に死を匂わす表現はないのだが、読めば読むほどこれが23歳というまぶしいほどの娘盛りであるべき女性が願う望みなのかと、やり切れない気持ちが押し寄せてくる。今ここにクリスティーナがいたら、黙ってしっかりと抱きしめてやりたい、そんな想いに駆られてしまうような儚くも切ない一篇なんだよね。
そうだなあ、クリスティーナ風にいうんだったらね、もし、俺だったら「絶えて忘れつる儚き光彩(ひかり)」になりたい。幻日とか環水平アークみたいにさ、気がついた人にだけ「あ、きれい・・・何だろ?」などと思ってもらって、次の日にはきれいさっぱり忘れてしまうような、そんなものになれたらいいな。
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