帯って本の一部なんだよ!── なんて与太話を書いてみる

ちょっとはっきりしないが「肋骨雲」という巻雲の変種だ。この雲の名称に限ったことじゃないけれど、理科系のエラい先生ってどうしてこうネーミングのセンスが欠如しているんだろう。
気になっていた歌集を購入した。もちろんビンボー人なので古書でだよ。届いてガックリ、帯が付いていねえ・・・。これがネットで古書を購入する際の大きな問題の一つなんだよね。古書のコンディション(傷みの程度、書き込みの有無、帯の有無など)をきちんと書いてくれている場合もあるが、帯については届いてみるまでわからないことが多い。

これがその歌集だが、九螺(くら)ささらさんって前から気になっていた歌人で、この歌集は彼女のデビュー作だ。
たましい、無限、黒柳徹子、味の素、なぞなぞ――
84の多彩なテーマごとに、「短歌」→「自己解説(風文章)」→「短歌」の三段階で構成。
短歌と散文、感情と理性が響き合って、世界の新しい風景があふれだす。
歌集でもなく、エッセイ集でもない。
こんなキャッチ・コピーもぞくぞくするんだが、実際彼女の作品の方も、帯にある文句どおりの「短歌が入り口で、宇宙が出口。」なんて感じで、すげーわくわくさせてくれる作品群なんだよ。この帯の、この言葉が、俺の脳天を貫いた時に、俺はこの歌集を買う決断をした(笑)。こうなると、帯は紛れもなく本の一部であるし、切っても切り離せない存在になってしまうんだね。本文に「短歌が入り口で、宇宙が出口。」というフレーズが載っているならまだ我慢も出来る。丹念にページを繰ってみたが、どこにも見あたらなかったので、帯が付いていることが確実な別の通販サイトの出品者からもう一冊買うことにした(笑)。
「最初から新刊買っておけばよかったのに」とか「馬鹿をやってるなあ」と苦笑する方もおられるかと思うが、こんな感じで俺にとっては帯というのものは本の一部に他ならないんだね。その本が出版された時代を反映する文献・資料という見方も出来るし、時の人気作家の推薦文なんかが載っていたりするからなかなか油断がならないものなんだよ。出版社サイドから見ても、帯の意義は大きい。帯の出来不出来が、本の売れ行きを左右することも多々ある。それ故に近年は表紙と帯のデザインが最初から一体化されるようになって久しい。
古書を購入する際の話に戻る。古書販売においては、普通帯の添付は保証されていない。まあ、新刊本でも版によっては帯が付かない場合もあるし、そもそも最初から帯が付属しない本だって、決して多くはないがあるからさ。まあ、古書を扱う業者にとっては厄介な存在なんだろうな。「帯の添付は保証出来ません」とか、最初から開き直って「帯は広告であり、本体と見なしておりませんので添付していません」なんて明記しているところもあるくらいだ。だから、古書購入の際は、なるべく帯が付いている可能性が高い出品者から購入するようにしている。Amazonマーケットプレイスなんかの例でいうとVB社とかBS社とかKO社だ。NO社なんかは、仕入れた段階で帯が付いていようがいまいが全部外して「品質レベルの(悪い方への)均一化」を徹底しているらしい(笑)。だから、まずここからは買うことはない。まあ、今回は「添付している可能性が極めて高い」VB社だったので安心しきっていたんだが、本当にめずらしくスカだったという話だ(笑)。
〈体積がこの世と等しいものが神〉夢の中の本のあとがき (九螺ささら)
出典:『神様の住所』所収 (朝日出版社 平成30年(2018年)刊)

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