【三訂版】 私が神様だったら、こんな世界は造らなかった ── 本谷有希子原作 / 吉田大八監督作品 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』について語ってみる
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さえき奎(けい)
昨夜、かなり酔っぱらっているのに、何故かこの映画のBDを回し始めたら(おそらく123回目くらいだと思う)結局ラストまで観てしまい、気づいたらしたたかに飲んじまっていた(笑)。当然のことながら、俺は朝からその「報いの影響下」にあった(笑)。仕事だけは何とかやっつけたが、これ以上は記事を書く気力も残っていないんだよね。そこで、やむを得ず、真にやむを得ず、その原因となったこの作品について語った記事を再掲させていただくこととした。何とぞご了承賜りたい。

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 2007年吉田大八監督作品
出典(フライヤー画像):株式会社ファントム・フィルム
たき:最近は、記事再掲の言い訳もワンパターン化していますね(笑)。
さわ:ほんと、よくやりますよ。読者の皆さんには見え見えなのにね(笑)。
たき:さわちゃん、そこは黙っててあげるのが大人というものでしょ(笑)。
さわ:あ、そうか(笑)。ところで、奎さんって邦画も観るんですね。
奎:もう少し静かに喋ってくれよ。頭ガンガンするんだから・・・(笑)。若い頃は、って今も若いんだけどな(笑)。若い頃はどっちかというと洋画専門だったんだが、この頃は邦画の方が多いかな。今のは洒落じゃないから突っ込みはよせよ(笑)。それにしても最近の洋画というかハリウッド映画は何て言ったらいいのかなあ。本来大人向けの作品までどんどんお子様指向に陥っているように見えるし、もっとひどいのは度を越した中国ヨイショだ。いくらチャイナ・マネーに頼ってるからといってあれはねえわな。
たき:確かに最近は中国人俳優、中国系人俳優の露出の多さとは別に、かなり不自然で違和感のある中国礼賛シーンが目立ちますね。
奎:「何でここに中国が出て来るんだよ!」てな感じで、思わずのけぞっちまうまうような強引なシーンばっかだよな(笑)。『ゼロ・グラビティ』だとか最近だと『オデッセイ』なんかひどいもんだ。まあスポンサーなんだろうから多少のヨイショはやむを得ないとしても『ゼロ・グラビティ』みたいに事実を逆さまにしちまったらおしまいだよ。
さわ:あのう、またテーマから外れてますので議事進行を・・・。
たき:あ、そうですね。その話題はまた改めて(笑)。
奎:『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』あたりから邦画がどんどん面白くなって来て、この少し後で洋画と邦画の興行収入が逆転して現在に至っている。
たき:これって元々は舞台劇なんですね。
奎:そう。本谷有希子女史が主宰する「劇団、本谷有希子」で自ら書いたこの作品を演出して2000年に初演、2004年に再演されている。
さわ:本谷有希子さんってあの芥川賞作家の本谷さんですか。
奎:よく知ってるな。演劇の方でも岸田國士戯曲賞を受賞しているぞ。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』初演の時彼女は弱冠21歳、あの話を20歳 になるかならないかくらいのねーちゃんが書いてたんだから、天才というより奇才と呼んだ方が正解だな。
さわ:すごいです。私も20歳 になるまでもっと勉強しなきゃ。
奎:それってお前の来世の20歳 という意味でいいかな(笑)。
たき:まあまあ(笑)。そうするとこの映画はお芝居の台本が元になっているんですね。
奎:いや、この芝居は本谷さん自身が2004年にノベライズしていて、吉田大八監督はそっちをベースにして自ら脚本を書いた。
たき:吉田大八さんって『桐島、部活やめるってよ』の監督ですよね。あれもよかったですねえ。
奎:そうだな。彼はもともとはCM出身の監督で、この作品が長編映画への初挑戦だったからその成否について否定的な見方をする向きもあったんだけれど見事にその才気と実力を見せつけたね。その後の活躍については『クヒオ大佐』『パーマネント野ばら』そしてその『桐島、部活やめるってよ』などでみんなも知っているとおりだ。
さわ:それでCMっぽいシーンがあるんですね。あのマンガのコマの中に動画が入っていたり、明和電機の土佐信道(小森哲生監督役)さんの顔がパカッと割れて佐津川愛美ちゃん(和合清深役)の顔が出てくるとことか。
たき:あれは面白かったですね。あと清深が書いてるマンガも怖かったですね。
奎:そりゃそうだ。プロのホラー漫画家、呪みちるさんが原画を書いてるからな。この作品、最初上映館数は決して多くはなかったんだが、評価が高まるにつれてじわじわと全国に拡大公開されて行ったんだ。俺は渋谷のシネマライズで観てたんだけど、エンドロールが終わって館内が明るくなるとどこからともなく「ふぅーっ」とか「ほぉーっ」という溜息とも感嘆ともつかない声が上がっていた。まあ、一言でいうと「なんつう映画だ!」ということになるんじゃないかな(笑)。
たき:シネマライズって、メジャーじゃないけど優れた作品を上映してくれる劇場だったのに、3年前に閉館しちゃたんですよね。残念です。
さわ:この映画ってタイトルもすごいけど始まりも強烈でした。いきなりあれですから(笑)。
奎:あのシーンですら影が薄くなってしまうくらいその後の展開がすごい。それに監督の脚本の手腕もさることながらキャスティングも光っている。見事に個性派ばかり集めたね。おそらくこの四人でなければ成功はおぼつかなかったんじゃないかな。とてつもない自意識過剰と自己愛のモンスターである和合澄伽役のサトエリ(佐藤江梨子)は、地のまま演じてるなんてひどいこと言うやつもいたけどな(笑)。もし演技力抜群の女優があの役を演ったとしたらかえって不自然に見えたんじゃないかって気がする。あと、澄伽のオーディション・シーンでメガネかけた審査員を演ってたのは吉本菜穂子さんだ。この人は本谷さんの舞台では常連の女優さんで2004年の再公演では待子役を演っていた。
たき:和合宍道役の永瀬正敏さん、和合待子役の永作博美さんの評価も高かったですね。
奎:そうだな。それと清深役を演ったあいみんはこの作品辺りから若手演技派女優の呼び声が高くなって来た。「変なお姉ちゃんにいじめられる妹」役が続いたんでイメージが定着してしまわないかと心配してたんだ(笑)。
さわ:あいみん?佐津川愛美ちゃんのニックネームって確か「さっつん」じゃなかったですか。
奎:今はな。「あいみん」というのは彼女の10代の頃の愛称で、昔からのファンは今でも親しみを込めて「あいみん」って呼んでるんだよ(笑)。
さわ:ちょっと待ってくださいね。えーと、奎さんは佐津川愛美のファンで、あいみんと呼んでいる・・・と。
奎:おい、何メモってんだよ?それにその黒革の手帖は何だ(笑)?
たき:そういえば佐津川さんも本谷さんのお芝居に出演されていませんでしたか?
奎:うん、『来来来来来』と『遭難、』に呼んでもらってたよ。本谷さんとはこの映画がきっかけで懇意になったらしいんだけど、若いうちに「劇団、本谷有希子」から声がかかるってのはすごいことだし、得がたい経験になっただろうな。彼女の演出って、それはそれは厳しいって話だからさ(笑)。
さわ:『遭難、』に出演。そうなんですかあ・・・。
たき:さわちゃん、ちょっと寒いよ(笑)! えーと、そのあたりまで行くと止まらなくなりそうですので、映画のお話に戻らせていただきますね(笑)。澄伽が清深を熱湯責めにするお風呂のシーンはかわいそうだったです。
奎:あのシーンの撮影には丸一日かかって、あいみんはその間ずっと風呂につかりっ放しだったから、といってもまさか本物の熱湯ではないと思うけど、終わりの方では頭が朦朧としていたそうだ(笑)。
さわ:あれ、このフライヤー(上掲の宣伝チラシのこと)、スイカになってますけど実際はウナギを食べるシーンじゃなかったですか?
たき:そうそう、すごい山盛りの10人前くらいの蒲焼きだったよね(笑)。
奎:よく気がついたな。そこなんだよ。こっちの方はスチル映像なんだけど、これにスイカを出しておいて本編ではてんこ盛りのウナギを持って来る。観ていて「あれ?」と気がついた人だけにニヤリとさせる・・・そんな吉田監督一流のブラックなメッセージなんだろうな(笑)。
さわ:あ、ウナギとスイカって、もしかして・・・。
たき:食べ合わせの代表みたいなもんですね(笑)。
奎:はは、そのとおりだよ。まあ、食い合わせの生理学的な真相は置いとくとしてさ「こいつらはウナギとスイカみたいな家族だ」とか「この女たちを食うと腹を下すぞ」、あるいは「こんな映画を観ているあんたたちも腹壊したって俺は知らないからな」なんてメッセージなのかも知れんな(笑)。
さわ:待子さんが作ったあの呪い人形が不気味だったです。あ、あの歌も・・・風の子供は風地獄 びゅうびゅうびゅう びゅうびゅうびゅう・・・げろげろりん げろげろりん げろげろりんのげーろげろ・・・。
奎:おい、もうやめとけよ、薄気味悪い・・・しかしまあ、よく覚えているな(笑)。あの人形は映画のオリジナルで舞台にも小説にも出て来ない。人形一体一体全部に名前があったらしいぞ(笑)。ところでタイトルの「腑抜けども」ってのは誰のことだと思う。映画評のサイトなんかを読むと「いやあ、登場人物はみんな見事に腑抜けでした」なんて半可通なこと書いてる人もいたんだけど「腑抜け」の意味わかってんのかな(笑)。
たき:少なくとも三人の女はそれぞれ「行っちゃってる」人たちですけれど、絶対に腑抜けなんかじゃないですよね。
奎:それに関連するけど、ある映画雑誌で「幸せになってほしいヒロイン」とかいうアンケート特集があって待子さんがけっこう票を集めてたんだな。「グロい登場人物ばかりの中で待子さんの健気さに泣いた」とか「待子さんには絶対に幸せになってほしいと心から願った」なんてコメントしてたやつもいたよ。
さわ:えー、私三人の女の中でも待子さんが一番したたかだと思いましたよ。
奎:そのとおりだ。ちゃんと見ていればわかるよな。そもそも本谷作品の登場人物ってのは徹底して記号化されているから、一人一人のキャラに感情移入してもしょうがないんだよ。大体感情移入したくなるようなキャラっていやしないだろうが(笑)。「待子さんがかわいそう」なんて言ってる人の頭の中では、俺なんかとは全く違った『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』ワールドが展開されているのかと思うと、そこんとこだけちょっと覗いてみたい気もするけどな(笑)。
たき:待子さんってあの家に一人残って、萩原くん(山本浩司)なんかと結婚してそれこそ幸せに暮らしていきそうですね(笑)。
さわ:それ、面白いです。スピン・オフ作品作ってほしいです(笑)。
奎:となると「腑抜けども」が見えて来るだろう。
たき・さわ:宍道さんでーす!
奎:宍道ももちろんそうなんだが「腑抜けども」って言ってるだろ。
たき:複数ですね。ということは・・・。
奎:これはあくまでも俺個人の見解として聞いてほしいんだが「腑抜けども」というのは「世の中の全ての男ども」のことなんじゃないのかな。宍道は、後妻に入った母の連れ子という「出自についての煩悶」、父(義父だが)亡き後の一家の稼ぎ手という「家長としての煩悶」、妹たちを守らなければならないという「兄としての煩悶」、待子との関係における「夫としての煩悶」、澄伽との関係における「男としての煩悶」などなど、あらゆる煩悶を抱えさせられた「男」を象徴するキャラとして設定されているんだ。
たき:なるほど、その結果があの自殺とも事故死とも取れる急死という訳ですか・・・。それが悲しみの愛を見せたってことなんでしょうか。
さわ:そう言えば、宍道さんが亡くなったってのに待子さんはちっとも悲しそうじゃなかったですよね(笑)。
奎:この映画の登場人物でまともなやつなんて一人もいないだろう。女も男もどこか頭の配線が切れたり外れたりしてるんだが、それでも女はみなしっかりと前を向いてる。それが正しい方向かどうかは別にしてな(笑)。対して男はどいつもこいつも下か後ろを向いたどうしようもないクズばっかりだ(笑)。
たき・さわ:異議なしでーす!(笑)。
奎:まあ、それは全ての本谷作品に共通しているんだけど、ああやって男どもはみんな彼女に「笑い飛ばされて」いるんだろうなあって思うよ。それなのに、俺も紛れもないワン・オブ「男ども」なんだけど、本谷作品を観たり読んだりした後で「ああ、また笑い飛ばされてみたいなあ」なんて思ってしまうから不思議だよ(笑)。それが本谷ワールド、本谷マジックのとてつもない魅力ってことなんだろうな。
たき:男をマゾにしてしまう本谷マジックですか。彼女美人ですもんね(笑)。
奎:昔から、それはもう大勢の男たちが彼女に対して無償の愛を捧げ、陰に陽に支援をしていたってのは知る人ぞ知る有名な話らしい・・・うん。
たき:「うん」ってまさか奎さん(笑)。まあ、卓越した才能があって且つ美人だったら世間が放っておかないってことなんでしょうね。それにしてもうらやましい限りです。さて、チャットモンチーの主題歌「世界が終わる夜に」ですが、この曲にも強烈な印象があります。あの凄まじいドラマが終わりエンドロールが流れ始めてみんながほっとしているところにいきなりあれが始まるんですから・・・。
さわ:〽わたしがかーみさまだったらー、こんなせーかいはつくらーなーかーったー(笑)。
奎:それそれ「私が神様だったら、こんな世界はつくらなかった」てのがそのままこの映画のキャッチ・コピーになってるのがすごい。もう解散しちゃったけど作詞の福岡晃子、作曲の橋本絵莉子、二人とも実にいい仕事してるよな。キャッチと言えば、この記事の冒頭のフライヤーにもある清深の捨て台詞「やっぱお姉ちゃんは、最高にお面白いよ」や「お姉ちゃんは自分の面白さが全然わかってない!」もよかったし「何者かになろうとして何者にもなれないあなたの物語」ってのもあった。これは芝居の方だったかな。
さわ:言葉の一つ一つがグサグサと来ますね(笑)。
奎:大体あの三人の女は全員本谷有希子自身のことだと、確か本人がそう言ってたんじゃなかったかな。
たき:本谷さんってあの三人のキメラなんですね。なんだかわかりそうな気がします・・・。
奎:機会があったら小説や舞台と比べてみるのも面白い(舞台は再演時のDVDがリリースされている)。舞台は待子、小説は清深、映画では澄伽がフィーチャーされていてそれぞれ微妙に違う。さっきも言ったように吉田監督は小説をベースに脚本書いたんだけど、小説では清深が完膚なきまでに澄伽を叩きのめして終わるんで、映画では澄伽の復活というか第2ラウンドをほのめかすようなエンディングにしたらしい。まあ、この映画は、言うなれば本谷有希子の毒と吉田大八の媚薬がミックスされたとんでもない 作品だと言えるんじゃないのかな(笑)。
さわ:ラストで澄伽が清深に「これからがおもしいんやから」(おもしろいんだから)って言ってたし、この後もずっと妹につきまとってやろうって気まんまんですもんね(笑)。
奎:でも、あの時清深が書いたお姉ちゃんは優しい顔になっていただろう。ああいうお姉ちゃんというか、女優になるのをあきらめてしまったお姉ちゃんは、清深にとってもう「最高に面白いお姉ちゃん」じゃなくなった訳だからあれからどうなるんだろうなあ、あのエレシュキガルとイシュタルみたいな姉妹は(笑)。
たき:じゃあ、最後にこれだけは聞いておきたかった質問で締め括らせていただきます。壊れていてしかもコンセントに入っていないのに回り始めたあの扇風機の謎はなんですか。
奎:ノベライズ版、つまり小説の帯にその答えが書いてある。「『あたしは特別な人間なのだ』ありえない自意識が、壊れた扇風機を回し始める」とね。
(こちらにも「映画について語ってみる」のページがあります)

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』 2007年吉田大八監督作品
出典(フライヤー画像):株式会社ファントム・フィルム
たき:最近は、記事再掲の言い訳もワンパターン化していますね(笑)。
さわ:ほんと、よくやりますよ。読者の皆さんには見え見えなのにね(笑)。
たき:さわちゃん、そこは黙っててあげるのが大人というものでしょ(笑)。
さわ:あ、そうか(笑)。ところで、奎さんって邦画も観るんですね。
奎:もう少し静かに喋ってくれよ。頭ガンガンするんだから・・・(笑)。若い頃は、って今も若いんだけどな(笑)。若い頃はどっちかというと洋画専門だったんだが、この頃は邦画の方が多いかな。今のは洒落じゃないから突っ込みはよせよ(笑)。それにしても最近の洋画というかハリウッド映画は何て言ったらいいのかなあ。本来大人向けの作品までどんどんお子様指向に陥っているように見えるし、もっとひどいのは度を越した中国ヨイショだ。いくらチャイナ・マネーに頼ってるからといってあれはねえわな。
たき:確かに最近は中国人俳優、中国系人俳優の露出の多さとは別に、かなり不自然で違和感のある中国礼賛シーンが目立ちますね。
奎:「何でここに中国が出て来るんだよ!」てな感じで、思わずのけぞっちまうまうような強引なシーンばっかだよな(笑)。『ゼロ・グラビティ』だとか最近だと『オデッセイ』なんかひどいもんだ。まあスポンサーなんだろうから多少のヨイショはやむを得ないとしても『ゼロ・グラビティ』みたいに事実を逆さまにしちまったらおしまいだよ。
さわ:あのう、またテーマから外れてますので議事進行を・・・。
たき:あ、そうですね。その話題はまた改めて(笑)。
奎:『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』あたりから邦画がどんどん面白くなって来て、この少し後で洋画と邦画の興行収入が逆転して現在に至っている。
たき:これって元々は舞台劇なんですね。
奎:そう。本谷有希子女史が主宰する「劇団、本谷有希子」で自ら書いたこの作品を演出して2000年に初演、2004年に再演されている。
さわ:本谷有希子さんってあの芥川賞作家の本谷さんですか。
奎:よく知ってるな。演劇の方でも岸田國士戯曲賞を受賞しているぞ。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』初演の時彼女は弱冠21歳、あの話を
さわ:すごいです。私も
奎:それってお前の来世の
たき:まあまあ(笑)。そうするとこの映画はお芝居の台本が元になっているんですね。
奎:いや、この芝居は本谷さん自身が2004年にノベライズしていて、吉田大八監督はそっちをベースにして自ら脚本を書いた。
たき:吉田大八さんって『桐島、部活やめるってよ』の監督ですよね。あれもよかったですねえ。
奎:そうだな。彼はもともとはCM出身の監督で、この作品が長編映画への初挑戦だったからその成否について否定的な見方をする向きもあったんだけれど見事にその才気と実力を見せつけたね。その後の活躍については『クヒオ大佐』『パーマネント野ばら』そしてその『桐島、部活やめるってよ』などでみんなも知っているとおりだ。
さわ:それでCMっぽいシーンがあるんですね。あのマンガのコマの中に動画が入っていたり、明和電機の土佐信道(小森哲生監督役)さんの顔がパカッと割れて佐津川愛美ちゃん(和合清深役)の顔が出てくるとことか。
たき:あれは面白かったですね。あと清深が書いてるマンガも怖かったですね。
奎:そりゃそうだ。プロのホラー漫画家、呪みちるさんが原画を書いてるからな。この作品、最初上映館数は決して多くはなかったんだが、評価が高まるにつれてじわじわと全国に拡大公開されて行ったんだ。俺は渋谷のシネマライズで観てたんだけど、エンドロールが終わって館内が明るくなるとどこからともなく「ふぅーっ」とか「ほぉーっ」という溜息とも感嘆ともつかない声が上がっていた。まあ、一言でいうと「なんつう映画だ!」ということになるんじゃないかな(笑)。
たき:シネマライズって、メジャーじゃないけど優れた作品を上映してくれる劇場だったのに、3年前に閉館しちゃたんですよね。残念です。
さわ:この映画ってタイトルもすごいけど始まりも強烈でした。いきなりあれですから(笑)。
奎:あのシーンですら影が薄くなってしまうくらいその後の展開がすごい。それに監督の脚本の手腕もさることながらキャスティングも光っている。見事に個性派ばかり集めたね。おそらくこの四人でなければ成功はおぼつかなかったんじゃないかな。とてつもない自意識過剰と自己愛のモンスターである和合澄伽役のサトエリ(佐藤江梨子)は、地のまま演じてるなんてひどいこと言うやつもいたけどな(笑)。もし演技力抜群の女優があの役を演ったとしたらかえって不自然に見えたんじゃないかって気がする。あと、澄伽のオーディション・シーンでメガネかけた審査員を演ってたのは吉本菜穂子さんだ。この人は本谷さんの舞台では常連の女優さんで2004年の再公演では待子役を演っていた。
たき:和合宍道役の永瀬正敏さん、和合待子役の永作博美さんの評価も高かったですね。
奎:そうだな。それと清深役を演ったあいみんはこの作品辺りから若手演技派女優の呼び声が高くなって来た。「変なお姉ちゃんにいじめられる妹」役が続いたんでイメージが定着してしまわないかと心配してたんだ(笑)。
さわ:あいみん?佐津川愛美ちゃんのニックネームって確か「さっつん」じゃなかったですか。
奎:今はな。「あいみん」というのは彼女の10代の頃の愛称で、昔からのファンは今でも親しみを込めて「あいみん」って呼んでるんだよ(笑)。
さわ:ちょっと待ってくださいね。えーと、奎さんは佐津川愛美のファンで、あいみんと呼んでいる・・・と。
奎:おい、何メモってんだよ?それにその黒革の手帖は何だ(笑)?
たき:そういえば佐津川さんも本谷さんのお芝居に出演されていませんでしたか?
奎:うん、『来来来来来』と『遭難、』に呼んでもらってたよ。本谷さんとはこの映画がきっかけで懇意になったらしいんだけど、若いうちに「劇団、本谷有希子」から声がかかるってのはすごいことだし、得がたい経験になっただろうな。彼女の演出って、それはそれは厳しいって話だからさ(笑)。
さわ:『遭難、』に出演。そうなんですかあ・・・。
たき:さわちゃん、ちょっと寒いよ(笑)! えーと、そのあたりまで行くと止まらなくなりそうですので、映画のお話に戻らせていただきますね(笑)。澄伽が清深を熱湯責めにするお風呂のシーンはかわいそうだったです。
奎:あのシーンの撮影には丸一日かかって、あいみんはその間ずっと風呂につかりっ放しだったから、といってもまさか本物の熱湯ではないと思うけど、終わりの方では頭が朦朧としていたそうだ(笑)。
さわ:あれ、このフライヤー(上掲の宣伝チラシのこと)、スイカになってますけど実際はウナギを食べるシーンじゃなかったですか?
たき:そうそう、すごい山盛りの10人前くらいの蒲焼きだったよね(笑)。
奎:よく気がついたな。そこなんだよ。こっちの方はスチル映像なんだけど、これにスイカを出しておいて本編ではてんこ盛りのウナギを持って来る。観ていて「あれ?」と気がついた人だけにニヤリとさせる・・・そんな吉田監督一流のブラックなメッセージなんだろうな(笑)。
さわ:あ、ウナギとスイカって、もしかして・・・。
たき:食べ合わせの代表みたいなもんですね(笑)。
奎:はは、そのとおりだよ。まあ、食い合わせの生理学的な真相は置いとくとしてさ「こいつらはウナギとスイカみたいな家族だ」とか「この女たちを食うと腹を下すぞ」、あるいは「こんな映画を観ているあんたたちも腹壊したって俺は知らないからな」なんてメッセージなのかも知れんな(笑)。
さわ:待子さんが作ったあの呪い人形が不気味だったです。あ、あの歌も・・・風の子供は風地獄 びゅうびゅうびゅう びゅうびゅうびゅう・・・げろげろりん げろげろりん げろげろりんのげーろげろ・・・。
奎:おい、もうやめとけよ、薄気味悪い・・・しかしまあ、よく覚えているな(笑)。あの人形は映画のオリジナルで舞台にも小説にも出て来ない。人形一体一体全部に名前があったらしいぞ(笑)。ところでタイトルの「腑抜けども」ってのは誰のことだと思う。映画評のサイトなんかを読むと「いやあ、登場人物はみんな見事に腑抜けでした」なんて半可通なこと書いてる人もいたんだけど「腑抜け」の意味わかってんのかな(笑)。
たき:少なくとも三人の女はそれぞれ「行っちゃってる」人たちですけれど、絶対に腑抜けなんかじゃないですよね。
奎:それに関連するけど、ある映画雑誌で「幸せになってほしいヒロイン」とかいうアンケート特集があって待子さんがけっこう票を集めてたんだな。「グロい登場人物ばかりの中で待子さんの健気さに泣いた」とか「待子さんには絶対に幸せになってほしいと心から願った」なんてコメントしてたやつもいたよ。
さわ:えー、私三人の女の中でも待子さんが一番したたかだと思いましたよ。
奎:そのとおりだ。ちゃんと見ていればわかるよな。そもそも本谷作品の登場人物ってのは徹底して記号化されているから、一人一人のキャラに感情移入してもしょうがないんだよ。大体感情移入したくなるようなキャラっていやしないだろうが(笑)。「待子さんがかわいそう」なんて言ってる人の頭の中では、俺なんかとは全く違った『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』ワールドが展開されているのかと思うと、そこんとこだけちょっと覗いてみたい気もするけどな(笑)。
たき:待子さんってあの家に一人残って、萩原くん(山本浩司)なんかと結婚してそれこそ幸せに暮らしていきそうですね(笑)。
さわ:それ、面白いです。スピン・オフ作品作ってほしいです(笑)。
奎:となると「腑抜けども」が見えて来るだろう。
たき・さわ:宍道さんでーす!
奎:宍道ももちろんそうなんだが「腑抜けども」って言ってるだろ。
たき:複数ですね。ということは・・・。
奎:これはあくまでも俺個人の見解として聞いてほしいんだが「腑抜けども」というのは「世の中の全ての男ども」のことなんじゃないのかな。宍道は、後妻に入った母の連れ子という「出自についての煩悶」、父(義父だが)亡き後の一家の稼ぎ手という「家長としての煩悶」、妹たちを守らなければならないという「兄としての煩悶」、待子との関係における「夫としての煩悶」、澄伽との関係における「男としての煩悶」などなど、あらゆる煩悶を抱えさせられた「男」を象徴するキャラとして設定されているんだ。
たき:なるほど、その結果があの自殺とも事故死とも取れる急死という訳ですか・・・。それが悲しみの愛を見せたってことなんでしょうか。
さわ:そう言えば、宍道さんが亡くなったってのに待子さんはちっとも悲しそうじゃなかったですよね(笑)。
奎:この映画の登場人物でまともなやつなんて一人もいないだろう。女も男もどこか頭の配線が切れたり外れたりしてるんだが、それでも女はみなしっかりと前を向いてる。それが正しい方向かどうかは別にしてな(笑)。対して男はどいつもこいつも下か後ろを向いたどうしようもないクズばっかりだ(笑)。
たき・さわ:異議なしでーす!(笑)。
奎:まあ、それは全ての本谷作品に共通しているんだけど、ああやって男どもはみんな彼女に「笑い飛ばされて」いるんだろうなあって思うよ。それなのに、俺も紛れもないワン・オブ「男ども」なんだけど、本谷作品を観たり読んだりした後で「ああ、また笑い飛ばされてみたいなあ」なんて思ってしまうから不思議だよ(笑)。それが本谷ワールド、本谷マジックのとてつもない魅力ってことなんだろうな。
たき:男をマゾにしてしまう本谷マジックですか。彼女美人ですもんね(笑)。
奎:昔から、それはもう大勢の男たちが彼女に対して無償の愛を捧げ、陰に陽に支援をしていたってのは知る人ぞ知る有名な話らしい・・・うん。
たき:「うん」ってまさか奎さん(笑)。まあ、卓越した才能があって且つ美人だったら世間が放っておかないってことなんでしょうね。それにしてもうらやましい限りです。さて、チャットモンチーの主題歌「世界が終わる夜に」ですが、この曲にも強烈な印象があります。あの凄まじいドラマが終わりエンドロールが流れ始めてみんながほっとしているところにいきなりあれが始まるんですから・・・。
さわ:〽わたしがかーみさまだったらー、こんなせーかいはつくらーなーかーったー(笑)。
奎:それそれ「私が神様だったら、こんな世界はつくらなかった」てのがそのままこの映画のキャッチ・コピーになってるのがすごい。もう解散しちゃったけど作詞の福岡晃子、作曲の橋本絵莉子、二人とも実にいい仕事してるよな。キャッチと言えば、この記事の冒頭のフライヤーにもある清深の捨て台詞「やっぱお姉ちゃんは、最高にお面白いよ」や「お姉ちゃんは自分の面白さが全然わかってない!」もよかったし「何者かになろうとして何者にもなれないあなたの物語」ってのもあった。これは芝居の方だったかな。
さわ:言葉の一つ一つがグサグサと来ますね(笑)。
奎:大体あの三人の女は全員本谷有希子自身のことだと、確か本人がそう言ってたんじゃなかったかな。
たき:本谷さんってあの三人のキメラなんですね。なんだかわかりそうな気がします・・・。
奎:機会があったら小説や舞台と比べてみるのも面白い(舞台は再演時のDVDがリリースされている)。舞台は待子、小説は清深、映画では澄伽がフィーチャーされていてそれぞれ微妙に違う。さっきも言ったように吉田監督は小説をベースに脚本書いたんだけど、小説では清深が完膚なきまでに澄伽を叩きのめして終わるんで、映画では澄伽の復活というか第2ラウンドをほのめかすようなエンディングにしたらしい。まあ、この映画は、言うなれば本谷有希子の毒と吉田大八の媚薬がミックスされた
さわ:ラストで澄伽が清深に「これからがおもしいんやから」(おもしろいんだから)って言ってたし、この後もずっと妹につきまとってやろうって気まんまんですもんね(笑)。
奎:でも、あの時清深が書いたお姉ちゃんは優しい顔になっていただろう。ああいうお姉ちゃんというか、女優になるのをあきらめてしまったお姉ちゃんは、清深にとってもう「最高に面白いお姉ちゃん」じゃなくなった訳だからあれからどうなるんだろうなあ、あのエレシュキガルとイシュタルみたいな姉妹は(笑)。
たき:じゃあ、最後にこれだけは聞いておきたかった質問で締め括らせていただきます。壊れていてしかもコンセントに入っていないのに回り始めたあの扇風機の謎はなんですか。
奎:ノベライズ版、つまり小説の帯にその答えが書いてある。「『あたしは特別な人間なのだ』ありえない自意識が、壊れた扇風機を回し始める」とね。
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さえき奎(けい)

本日のトップ画像は、一見したところ日の出の光景に見えるかも知れないが、実はれっきとした夕景なんだよね。というか、俺がそったら時間に起きているなんてことがあるはずがない(笑)。それはともかくとして、ぼうっと明るく浮かび上がった雲の周縁部に「光環」というべきか「彩雲」とするべきか、ちょっと微妙な光彩が見えている。他にも、かすかに「薄明光線」も出ていたりするので、もしかしたら何かの瑞兆だったのかも知れん(笑)。
朝、リビングの雨戸を開けたら、山茶花のてっぺん付近に"最悪の強雑草"「ヤブガラシ」の花が満開状態になっているのが見えた。まあ、東日本のヤブガラシはほとんどが"2倍体"なので、花が咲いても結実することはないから、実生で増えることはない。では、どうやって増えるかというと、地下茎なんだよね。だから地下茎を根絶しない限り、茎を抜いても焼け石に水なんだが、とはいうものの、これを放置しておくのは見た目的にもよろしくないし、山茶花があまりにも不憫じゃないか。〽おまえは~ いらない~ さざんかのや~ぶ ということで、とりあえず茎を引っこ抜いてやろうと勇躍庭に出て行った。山茶花の根元には直径7~8mmもあろうかという
さて、俺のところ(埼玉県北部地方)では二日続きで雨模様のパッとしないお天気になった。ただ、最高気温の方は、昨日が33度、今日はぎりぎり30度と真夏日をクリアしてくれた(笑)。この夏の頑張りに対して"Maker's Mark"のロックを捧げ、心からエールを送りたいと思う。日に日に"Maker's Mark"のロックを飲るための口実探しが巧妙になっている俺なのであった(笑)。

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さえき奎(けい)

本日のトップ画像に「飛行機雲変遷史」などという大層なタイトルを冠してしまったのには、ちゃんとした訳がある(笑)。画像をとくとご覧いただきたい。ここには全部で4本の飛行機雲が写っているんだが、お分かりいただけるだろうか。まず右上から左下へ向かって並列する3本が見える。4本目は、画像のほぼ中央を左上から右下に
かなり前のことになるんだが、一般の人のみならずテレビのキャスターやMCなど、いわば"喋りのプロ"までが「言わざるを得ない」つまり「いわざるを」+「えない」という組み合わせになっているフレーズを「いわざる、おえない」などとおかしな区切り方で話しているなんて記事を書いたことがある。おそらく喋っている本人は「言わざる、負えない」あるいは「言わざる、終えない」とやっているつもりなのかも知れないんだが、その区切り方ではどんな意味になってしまうのかということまでは考えていないんだろうね(もしかしたら「言わ
先日、それと同様の誤読例が多いフレーズのことを知ったので、ご紹介させていただくことにしたい。まあ、今ではあまり使う人はいないのかも知れないが、それは「習い性となる」(あるいは「習い性になる」)というフレーズだ(筆者注:出典は『書経』)。例えば「さえき奎は、寝ている時以外は酒を飲むことが
何だかずいぶんとエラそうなことを書いてしまったが、おそらく自分が気づいていないだけで、俺にもこんな誤用や誤読があるに違いない。何せ、中学生の頃まで「千変万化」を「せんぺんまんげ」と読むのだと信じて疑わなかった俺だからね(笑)。「検証せよ! 推敲せよ! 辞書を引け!」を改めて胆に命じたいと思う。
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さえき奎(けい)

本日のトップ画像は「毛状巻雲」なんだが、実はこの雲って飛行機雲のなれの果てなんだよね。飛行機雲が「肋骨巻雲」に遷移するパターンはしばしば見られるが、そこから毛状巻雲にまで化けてしまうのはけっこう珍しい(と思う)。ただ、毛状巻雲としてはそれほど眉目麗しいというほどのレベルではないので「ふーん、毛状巻雲ってこんヤツなのか・・・」などと思わないようにお願いしたい(笑)。そうだね。こんなのが
さて、俺のところ(埼玉県北部地方)では、本日最高気温が35度を超えて久々に猛暑日となった。昨日はあと一歩のところで及ばなかったので、実にめでたいことだ(笑)。週間予報などでは「秋雨前線が南下」とか「残暑も緩む」なんてことが書いてあったりして見て見ぬふりをしていたんだが、どうやらこれも一時的なもので、この
意気地なしが意地っ張りと根比べ なんて短い

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本日のトップ画像は、半月ぶりくらいに「黄昏発
今日、俺のところ(埼玉県北部地方)では、最高気温が34度まで上がった。お隣の群馬県ではあちこちで猛暑日になったらしいんだが、あとちょいだったのに惜しいことをしたよ(笑)。予報では、明日はもう少し上がるようなことを書いてあるので、大いに期待したいと思う(笑)。
さて、この三連休、俺も世間並みにゆったり、まったりと過ごした。まあ、二日酔いなどという、すっかり忘れていたあの気分も久々に味わったし、休みらしい休みだったといえるんじゃないのかな(笑)。そういうこともあったので、一瞬今宵は国産ウナギでも買いに走って明日から仕事に備えてエネルギー補給をしようかなどと幻想がちらついたりしたんだが、懐具合と相談して即却下した(笑)。ということでいつもの"プランB"、釧路産サンマの蒲焼き(冷凍)で行くことにしたよ。ところが、冷凍庫を調べてみたら、これが最後の1パックだった。あわてて、再オーダーしようと思ったんだが、な、なんと「品切れ中」になっていた(笑)。うーん、サンマ大不漁の折、これは嫌な予感がするんだよね(笑)。決して安くはないんだが、一度ここのサンマの蒲焼きを食ってしまったら、もう他のは食えないからね・・・。何度も書いているが、スーパーなどで売っているサンマの蒲焼きは、鮮度の落ちた売れ残りや元々売りものにならない小ぶりのサンマを加工したやつだから美味かった例しがないんだよね。とりあえずこの最後の1パックを食うことにしたんだけど、もし、このまま販売終了なんてことになってしまったら、俺は一体どうしたらいいんだべか・・・。
模様替へ一時中断青き痣青き畳と窓の青空 (まるひら銀水)

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至福の一歩は「出合」から ── 続・残暑日記 令和五年九月十七日(日)
さえき奎(けい)

本日のトップ画像は、当ブログではすっかりお馴染みの大楠と夕景の一コマだ。「燃える」というのは、あまりにも月並みなレトリックだとは思うんだが、久々にちょいと二日酔いしてしまって、いくら考えてもよいフレーズが浮かんで来ないんだよね(笑)。まあ、残照に映える高積雲を炎に見立てたということで、どうか笑って見過ごしてやってほしい(笑)。
書こうかどうかずっと迷っていたんだが、一応このブログは日記というか備忘録も兼ねているので記しておくことにする。過去記事でも何度か触れたことがあるんだが、滝写真専門にやり始めた頃から、陰に陽に俺をサポートしてくれたかけがえのない友人がいる。彼は遡行や登攀のエキスパートだったので、俺の滝撮影行にしばしば沢へ同行してくれただけではなく、情報提供、プランニングから装備、テクニックに至るまで様々なアドバイスをしてくれた。俺は愛称の◯◯ちゃんの他にも敬愛の意味を込めて「師匠」とか「相棒」とか「ツレ」などいろいろな名で呼んだり書いたりしていたんだが、とにかくずっと世話になりっ放しで、とてもじゃないが足を向けては寝られない
俺より若いのに病死だなんて・・・。あまりにもショックだった。行間からは「しばらくそっとしておいてほしい」というニュアンスが汲み取れたし、奥さんとは全く面識がなかったんだが、居ても立っても居られず電話を入れた。「交友関係のことは全く存じ上げず失礼いたしました」とは言ってくれたが、滝仲間・沢仲間・写真仲間のことはあまり快く思われていないことは言外からも感じ取れた。まあ、普通そうなるよね。自分の連れ合いが寝食を忘れて没頭していた道楽、時には家族と過ごすべき時間を反故にしたり、団欒を蔑ろにしたこともあったかも知れない(彼がそうだったというのではない。あくまでも一般論として書いている)。ましてやそれが生命の危険を伴うものだったりしたら、家族に快く受け入れてもらえていると考える方がおかしいんだよね。自分自身がやっていたことを省みても、その点については納得せざるを得ない。
笛吹川水系東沢に懸かるあの「東の
「
期待とちょっぴりの不安がない交ぜになった、例えようのない幸福感が胸一杯にあふれて来る瞬間だ
沢、沢に出合い、人、沢と出合う
沢、人と出合い、人、人に出合う
出典:「至福の一歩 ── 出合は人を魅了する」

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さえき奎(けい)

「逝く夏を悼む」
akizou さん撮影によるこの作品は 写真AC から提供されています。
例年ならこの訳詞は八月の終わりに掲載させてもらっているんだが、最近の我が国では九月中旬までは紛れもない夏だと俺は思っているんだよね。ということで、九月もちょうど半ばを過ぎた本日、
たき:とか何とか屁理屈つけてますけど、要するにズボラこいて今日の記事を手抜きしてるってことでしょ。
さわ:ほんと! 昼間っから大酒喰らってるからですよ。
けい:う、うっせんだよ。お前らだって、俺のとっておきのモエ・エ・シャンドンを勝手に開けて飲んでたじゃねえか。
"Valse d'Été"
Salvatore Adamo
Le jour vient de souffler la lune
Les vagues s'éveillent une à une
Et se mettent à danser au soleil retrouvé
Dans les bras d'une valse d'été
La mer nous tend ses bras de mousse
Et le sable, à la peau, si douce
Et c'est bon de rêver de marcher dans le ciel
Sur le fil d'une valse d'été
Tournez, tournez
Toi mon amour, toi mon rêve
C'est la valse d'été
Qui vous a mariée
La nuit a surpris dans sa ronde
Des tas d'amoureux par le monde
Mais elle est leur amie, elle sourit
Et se dit c'est la faute à la valse d'été
Une étoile est venue s'endormir dans tes yeux
Bercée par notre valse d'été

「大空の波濤を越えて(その1)」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/250sec., ISO100, WB:Daylight
「過ぎし夏のワルツ」
サルヴァトーレ・アダモ
太陽が月と入れ替わると
海はひと波ひと波目覚め
夏のワルツの腕に
舞い戻った陽の光の
海は柔らかな砂と肌を投げ出し
泡立つ腕を僕らに差し伸べる
夏のワルツの調べに乗って
空中散歩を夢みるのも素敵だね
回れ、回れ
君は僕の愛、君は僕の夢
二人を一つにしてくれるもの
それは夏のワルツ
夜は強引に踊りの輪に割り込んで
世界中の恋人たちを驚かせては
「俺たちって、ダチだろ?」とほくそ笑み
「文句なら夏のワルツに言えよ」などと嘯く
二人の夏のワルツにやさしく揺られて
流れ星がひとつ君の瞳の中で眠りにつく
(さえき奎 訳)
もし拙訳が少しでも気に入っていただけたのなら、是非次の動画からSalvatore Adamoの"Valse d'Été/過ぎし夏のワルツ"原曲の方も聴いていただければと思う。不思議なことに、この佳曲が我が国ではほとんど知られていないんだよね。邦題はリリース当初『過ぎし夏のワルツ』だったが、後に何故か『愛のワルツ』などという凡庸なタイトルに改悪された。但し、原題の"Valse d'Été"は、単に「夏のワルツ」という意味だ。
"Valse d'Été/過ぎし夏のワルツ" de Salvatore Adamo
フランス語はからきし駄目なので(第二外国語は一応フランス語だったんだけど"Je t’aime à mourir."と"Tu as de très beaux yeux."くらいしか覚えてないや)、仏→英→日と一旦英語に変換(機械翻訳)したものを日本語に孫訳している。それによる誤差の累積みたいなものが生じている可能性があるので、その点は何とぞご容赦願いたい。

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さえき奎(けい)

黄昏時、茜色に染まる層積雲(うね雲)の雲底に尾流雲を生じている・・・。ソラ屋的には定番の光景なんだが、画像の奥側から手前に向かって吹く強い気流に煽られて尾流雲が翻っている様子がお分かりいただけると思う。何だか雲のざわめきまで聞こえてくるような、そんな黄昏の
今日も俺のところ(埼玉県北部地方)では、最高気温が33度まで上がって真夏日となった。さすがに猛暑日とまでは行かないが、この先もしばらく真夏日が続くらしい。夏大好き人間の俺としてはうれしくもありがたいことなんだが、日がどんどん短くなっていることについては如何ともし難いんだよね。それもそのはずで、あと一週間もすれば秋分じゃないか(笑)。
俺は最近「ジャネーの法則」に関連して、今まで気づいていなかったある事実を発見してしまった(笑)。ご存じのようにこれは「生涯のある時期における時間の長さは年齢の逆数に比例する」という法則なんだが、具体的には「10歳の時を基準にすると、30歳の人間の時間はその3倍、40歳では4倍、60歳では6倍の速度ですっ飛んでいく」ということなんだよね(笑)。それに加えて、俺が気づいてしまったのは「一日のうちでも午後よりは午前の方が、一年のうちでも秋冬よりも春夏の方がはるかに速く時間がすっ飛んでいく」という重大な新事実の発見だ(笑)。詳しくはもう少し検証を重ねてから書くことにするが、俺はこれを将来的には「ジャネーの第二法則」と命名しようと考えている(笑)。
「私にね、苺潰しをしてほしい」 初二日酔い 夢の片々 (まるひら銀水)

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