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酒とソラの日々 / Lazy Days of Liquor and the Skies

酒のこと、空のこと、写真のこと、しーちゃんのこと、北海道のこと、気象のこと、映画のこと、詩のこと

【改訂版】 昔々ある沢に美しい滝が懸かっていましたとさ ── 続・夏待日記 令和六年四月十六日(火)

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さえき奎(けい)
滝の見本帳──星移幾秋の滝よ永遠に!「滝の見本帳──星移幾秋の滝よ永遠に!」 Canon EOS-1N, EF28-80mm F2.8-4.0L USM, f16, 2sec., Ektachrome E100SW
滝壺の中にある上部が平たい岩を、俺は「卓袱台岩」と呼んでいた。昼飯時には弁当や缶びいるを、撮影時には機材などを置かせてもらったり、暑い日には靴を脱ぎ、ここに腰掛けて火照った足を滝壺で冷やしたりと大変世話になった岩だ。

 俺のところ(埼玉県北部地方)では、今日も最高気温が25度まで上がって二日続きの夏日となった。昨日よりは気温は少し低いんだが、湿度が高くムシムシしているので「北海道サマー」という感じではない。家の中では窓を全開にすれば風が通るので過ごしやすいんだが、直射光に晒される車の中だとそうはいかない。ということで、本日外出した際にたまらず今季初エアコンを稼働してしまったよ(笑)。

 本日のトップ画像は、滝屋専門にやっていた頃の一葉をご紹介させていただきたいと思う。これは、R山系H沢に懸かる落差4mほどの名も無き小滝だ。この滝を見つけたのはちょっとした偶然で、漫然と沢道を歩いていては決して気がつかないようなところに懸かっていた。俺は、滝屋として大瀑や高瀑はもちろん大好きなんだが、眺めるにしても撮るにしても一番気に入っているのはこのくらいの規模の小滝なんだよね。よく見るとこの滝は、小さいながらも滝のあらゆる落水パターン(直瀑・斜瀑・段瀑・分岐瀑・滑滝など)を有していて「滝の見本帳」みたいな感じであることも気に入っていた。何よりも実際にこの滝前に立ってみると、無性に懐かしく優しい雰囲気に包まれているような、そんな不思議な気持ちになる空間だった。以来俺は、この滝を勝手に「星移幾秋の滝」と命名して、この沢に入る時には必ず立ち寄って昼食を摂ったり休憩したりしていた。言うなれば「ヒミツの場所」ってやつだったんだよね(笑)。

 残念ながら、今はこの滝の姿を見ることは出来ない。平成11年/1999年8月の熱帯低気圧による集中豪雨・・・そう、覚えている方も多いと思うが、川原でキャンプをしていた子供4名を含む男女13名が死亡した神奈川県の「玄倉くろくら川水難事故」で知られるあの集中豪雨だ。あえて書かせてもらうが、何の罪もない子供達まで巻き込んだこの事故は、ダム管理職員や警察、地元消防団の再三の避難の呼びかけを嘲笑って無視し、泥酔した挙げ句テント内で寝込んでしまうという自らの無知と身勝手で独善的な行為が招いた明らかな自業自得的人災だったと思う。話を戻す。この滝に何が起こったかというと、集中豪雨によって発生した大規模な土石流が、滝を含む周辺の沢一帯をすっかり埋め尽くしてしまったという訳だ。埼玉県秩父地方では幸い玄倉川のような事故は起こらなかったものの、降り始めから一日余りで400ミリ(何と年間降水量の約1/3)を超える記録的な豪雨となって奥秩父の多くの沢でも鉄砲水や土石流が発生した。渓相が完全に一変して、俺のお気に入りだったいくつもの小滝や滑や淵が埋まるなど、この集中豪雨はあちこちに深い爪痕を残して行ったんだよね。

 ということで、今は写真を見て往年の美しい姿を偲ぶだけなんだが、本ブログのフォロワー・読者の皆様にも是非ともご覧いただきたいと思い、本日掲載してみた次第だ。俺が勝手に命名した「星移幾秋の滝」とその空気感を、少しでも感じていただければこの上ない幸せだ。




導きのひかりに君をたぐへつつし方みれば星影もなし  (まるひら銀水)




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神の視点で オリオン座を見る── 夏待日記 令和六年四月十五日(月)

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さえき奎(けい)
ある飛翔 (その90)「ある飛翔 (その90)」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f16, 1/125s, ISO100, WB:Daylight
 このところ夕景が続いたので、本日は紺碧の空をバックにした「ある飛翔」シリーズで行ってみたいと思う。まあ、ちょいとヨレヨレだが、そこはご愛敬ということで(笑)。本当はもう少しシュッとした飛行機雲もあったんだが、記事の都合上この画像をセレクトさせてもらった。

 先日、某科学サイトを漁っていたら、ちょっと面白い画像を見つけた。まずは次の画像をご覧いただきたいと思う。

神の視点によるオリオン座「オリオン座の奥行きがわかる画像」
出典:NASA Astronomy Picture of the Day
画像をクリックして開いた画像をさらにもう一度クリックしていただければ大きな画像でご覧いただけます。

 これは、オリオン座を"立体視"して、その奥行きが分かるようにしたらどう見えるかというイラストだ。実際に人類がこのような視点に立てることはないだろうから、これはいわば"神の視点から見たオリオン座"というべき姿かも知れない。当然のことなんだが、宇宙には奥行きがある。つまり宇宙は平面でもなければ、プラネタリウムのようにお椀状になった天球に星々が張り付いている訳でもない(笑)。世の中には、どうしても3次元空間をイメージすることが出来ない人もいるので、時々話が噛み合わなかったりする。宇宙どころか、地上から仰ぎ見る空ですら平面としてしか捉えられず、たとえば本日のトップ画像のような飛行機雲を見て「何か不思議なものが墜ちて・・・行く」とか「UFOが飛んだ航跡じゃないのか」などと大騒ぎして、警気象庁や報道機関に御注進に及ぶ人も少なくないんだよね(笑)。

 話をこのイラストに戻す。オリオン座と言えば「オリオンのベルト」とも呼ばれている"三つ星"が有名だよね。ほぼ同じ明るさの2等星が等間隔に並ぶ三つ星は、誰でも一度は見たことがあると思う。この三つ星は、右からδ星(Mintaka/ミンタカ)、ε星(Alnilam/アルニラム)、ζ星(Alnitak/アルニタク)という名の星なんだが、きれいに三つ並んでいのは、たまたま地球から眺めるとそう見えるだけだということがこの図からお分かりいただけると思う。実際問題として、三つ星の左右に位置するMintaka/ミンタカとAlnilam/アルニラムは、地球からの距離がそれぞれ692光年と736光年なので互いに近いと言えば近いんだが、中央のAlnilam/アルニラムは何と1976光年も離れている(1光年とは秒速30万kmの光が1年かかって進む距離)。このAlnilam/アルニラムは、オリオン座の星々の中では地球から最も遠いので2等星の明るさにしか見えないんだが、天体を10パーセク(約32.6光年)の距離から見た時の明るさである「絶対等級」では、マイナス7.2等と実際にはオリオン座の中で最も明るい星なんだよね。ちなみに、数年前著しく減光して超新星爆発が近いのではないかと噂されたα星(Betelgeuse/ベテルギウス)は見かけの等級は0.45等だが絶対等級ではマイナス5.5等、β星(Rigel/リゲル)は見かけの等級が0.18等で絶対等級はマイナス6.9等だ(但し、ベテルギウス、リゲル共に変光星なので平均視等級を示す)。

 冬の星座の代表格であるオリオン座は、今頃は陽が落ちて暗くなると南西の空低く見える。そして、21時過ぎにはそそくさと西の地平線下に姿を消して行く。




校門を急ぎ出て手を振る君にたちまち薫る放課後の風  (まるひら銀水)




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雲片(くもぎれ)の宅急便 ── 夏待日記 令和六年四月十四日(日)

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さえき奎(けい)
春の朧の黄昏の (その3)「春の朧の黄昏の (その3)」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/250s, ISO100, WB:Daylight
 連日の夕景で申し訳ないんだが、最近何故か大気光学現象がさっぱりなんだよね。困った時の夕景頼みということで、ご容赦願いたい(笑)。まあ、それはともかく、この「薄明光線」を視た瞬間「おお、軍艦旗や!」と思ったんだが、よく考えたら旧海軍軍艦旗海上自衛艦旗も「旭日・・旗」、つまり朝陽に出現した薄明光線の意匠なんだよね(笑)。一方、こちらの画像は紛れもない夕陽なので、厳密に言うと「落暉らっき旗」ということになるんだろうが、この際そったらことはどうでもよろしい。デザイン的には旭日ということでいいじゃないか(笑)。この時間帯に薄明光線が見える時は、東天側には反薄明光線も出ていることが多いんだが、残念ながら今回は薄明光線だけだった。

 昨日は庭木の剪定という一大重労働をこなしたので、本日は疲労回復のため爆睡を決め込んだ(笑)。堂々と11時頃まで寝て、ちょこっとだけコミックを読んで正午前に起床した・・・って、こういう場合は起床でいいんだよね。目覚め=起床じゃないから(笑)。昼酒モードに入る前に、行方不明になっている『NHK日本語発音アクセント新辞典』と『日英共通メタファー辞典 / A Bilingual Dictionary of English and Japanese Metaphors』を探すことにした。すぐに見つかると思ったんだが、どこへ仕舞い込んだのか記憶が曖昧で 発掘 発見まで1時間ほどかかってしまったよ(笑)。いくら俺だって、よく使う辞書・事典は一応書棚に収めてあるんだが、たまにしか引かないヤツはけっこうあちこち散逸しているんだよね(笑)。辞書・事典の類は「使ってナンボ」だから、この際ひとまとめにしておくことにした。とまあ、軽く考えて作業に入ったら、これまた想定をはるかに超える大仕事で、結局2時間くらい積ん読山脈を掻き分け掻き分け悪戦苦闘する羽目になってしまった(笑)。何てことはない。終わってみれば、土日とも重労働に明け暮れた週末だったという次第だ・・・。

 本日は、最高気温が25度と久々の夏日になった。カラッとしてすこぶる気持ちのよい北海道サマーの日曜日を汗と埃まみれの重労働で費やしてしまったんだが、まあ、昨日の庭木の剪定といい、今日の辞書・事典類の整理・整頓といい、大懸案が片付いたという達成感と爽快感はあるよね(笑)。ボーボーのレッドロビンを見る度に焦燥感に苛まれたり、隣家の奥さんと顔を合わせないようにコソコソしないでも済むというだけでも重労働の甲斐があったというものじゃないか(笑)。ということで、夕餉は久々に「特大シマホッケをご飯大盛りで食いたい」という特認申請を裁可したのであった(笑)。




岩清水ボトルに汲んで雲片くもぎれと君に届ける算段をする  (まるひら銀水)




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既視感は幻じゃない ── 夏待日記 令和六年四月十三日(土)

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さえき奎(けい)
黄昏の椿事 ── ソラに穴が空いたという訳ではありませんが (その2)「黄昏の椿事 ── ソラに穴が空いたという訳ではありませんが (その2)」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/60s, ISO100, WB:Daylight
 本日は蔵出し画像から「穴あき雲」をご紹介したいと思う。この時は、夕陽に「太陽柱(サンピラー)」らしきものが出ていたので、そちらを撮ることに夢中になっていて雲の方はノーマークだったんだよね(笑)。ファインダーの上の方に穴あき雲のようなフォルムが見えたので、あわてて自分の目で確認したらこんな空景が広がっていたという訳だ。もしかしたら、たまたま雲と雲の隙間がそのように見えているだけかとも思ったんだが、穴の中や周囲に尾流雲も確認出来るので穴あき雲に間違いないと確信した。よくよく観察してみると、どうやらこの高積雲(ひつじ雲)には複数の穴あき雲が生じていた痕跡も確認できた。どうやら、この穴あき雲は"最後のひと穴"だったらしい(笑)。

 さて、本日はお日柄もよく・・・じゃなくて、お天気もよく絶好の庭仕事日和となった(笑)。この一週間は野暮用で何かとバタバタしていたので、正直なところかなり疲労も溜まっていたし、直前まで迷いに迷っていた(笑)。「別に明日でもいいんじゃないの・・・」などという悪魔の囁きもあったからね(笑)。まあ、それでも「懸案こそ先に片付けるべし」という家訓を思い出し、意を決して準備を整えると庭に出た。時は午後2時、最高気温が夏日直前の24度まで上昇した中で、悪戦苦闘の末にまずレッドロビンをやっつけてから、いつものように山茶花と金木犀をちょこちょこと適当に徒長枝などを切り落とした(花芽は切っちゃあかんのだよ)。昨年かなり深目に剪定していたお陰で、思ったより早い時間で片付いた(ことにした)。いつもなら45Lのゴミ袋5~6枚になるところを4枚で済んだので、そういうことなんだと思うよ。まあ、とにかくやることをやって肩の荷が下りたよ(笑)。

 ここ数年は、剪定をやると腰にダメージが来るんだよね。歳なんだろうかね・・・(笑)。シャワーて汗を流し、一杯飲っているとすぐにクラっとくる。これは多分昨夜の深酒のせいだ(笑)。自分へのご褒美として、夕餉は久々に寿司でも取ろうかと思ったんだが、贅沢は 素敵 敵だ(笑)。しかし、何かこさえるのもめんどい・・・。もう吉○家純正冷凍牛丼(大盛り)でいいや。重労働の後なので、ご飯大盛り申請も決裁することにした(笑)。




今日という既視感デジャヴュに満ちた背景画 場所は知らない おそらく君も  (まるひら銀水)




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ウンガレッティを読む君の熱 ── 夏待日記 令和六年四月十二日(金)

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さえき奎(けい)
凛として颯爽と行く「凛として颯爽と行く」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/250s, ISO100, WB:Daylight
 久々に眉目麗しき「鈎状巻雲」を見た。これが数本の群れであったらもっとよかったんだが、残念ながら一筋だけの艶姿だった。巻雲(すじ雲)は雲種として毛状雲・鉤状雲・濃密雲・塔状雲・房状雲の5形態に分類されるんだが、図鑑や教科書に巻雲の代表として必ずといっていいほど載っているのがこの鈎状巻雲なんだよね。しかし、現実的にはこの雲種はかなりレアな存在であり、特に絵に描いたようなフォルムの鈎状巻雲は滅多には見られない。鈎状巻雲は尾流雲と紛らわしいこともあるんだが、この画像のように雲頭部がもやもやっと繊維状の構造をしているのが特徴だ。

 さて、藤井聡太名人(竜王・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖と合わせて八冠)に豊島将之九段が挑戦する将棋の第八十二期名人戦七番勝負第一局が10~11日の両日に渡って東京都豊島区の「ホテル椿山荘東京」にて行われていた。先手番の藤井名人が横歩取りから捻り飛車という作戦を指向して力戦(定跡から外れたり、過去の実戦で現れたことがない局面)模様の展開となったが、後手番の豊島九段がジワジワと優位を拡大して終盤のAI評価値が一時90%の勝勢(ほぼ勝利間違いなし)となった。最後は、豊島九段に痛恨の手順前後ミスがあってあっという間に逆転、午後9時22分、藤井名人が141手にて緒戦を制した。過去にも絶体絶命のピンチに追い込まれた藤井八冠が、奇跡ととでも言いたくなるような逆転劇で勝利した対局を何度も見てきた。思えば羽生善治九段の全盛期にも、しばしばこのような逆転劇があり「羽生マジック」と呼ばれていたことを思い出した。藤井八冠のような突出した実力者を相手に、たとえ勝勢になったとしてもそこから勝ち切るまでが至難の業なんだよね。それにしても、藤井八冠の昨年度の先手番成績は22勝1敗1持将棋で、何と9割6分という驚異的勝率だ(ちなみにプロデビュー以降の先手番通算勝率は8割9分5里)。つまり、先手番ではほとんど負け知らずということか・・・。まあ、それはともかく、今回もすっかり恒例になった勝負飯をご紹介してみたいと思う。

第八十二期名人戦七番勝負第一局一日目の勝負飯第八十二期名人戦七番勝負第一局一日目の勝負飯(上が藤井名人の「黒毛和牛サーロインステーキ重」、下が豊島九段の「松花堂弁当」)
出典:日本将棋連盟

 上が藤井聡太名人の「黒毛和牛サーロインステーキ重(べい茄子なすしぎきとともに)」とウーロン茶、下が豊島九段の「松花堂弁当(はつめじろ添え)」とアイス椿茶だ。しかし豪勢だね・・・(*´﹃`*)。松花堂弁当のご飯が別盛りというのはあまり見たことがないんだが、本当に高級な弁当ってこういうスタイルなんだろうか(笑)。うーん、二段重ねとかならともかく、ご飯が別盛りという時点で既に弁当の定義から外れていると思うんだが・・・などと僻み根性丸出しでケチをつけてみたりして(笑)。ちなみに「はつめじろ」とはちりめんじゃこを山椒の風味と共に柔らかく炊き上げた一品らしい。「黒毛和牛サーロインステーキ重」は、ホテル椿山荘東京が名人戦用に特別に用意したメニューで、同ホテル内の和食料理店「みゆき」にて期間限定のランチメニューとして一般にも提供されるそうだ。お値段は12000円らしいんだが、お金に余裕のあるグルメの方は是非どうぞ(笑)。

 しかし、勝利はしたものの、本局はいつもの藤井八冠らしくない指し回しで終始ハラハラさせられた。考えてみたら、第九期叡王戦第一局を7日に終えたばかりなんだよね。対局場には前日(9日)に入らなければならないから、実質的には中一日の休みしかなかったということだ。それも地元名古屋対局だったからの話で、もし他の地方での対局だったらその中一日が移動日になるところだった。つまり、現在藤井八冠は名人戦七番勝負と叡王戦五番勝負を並行して戦っている訳で、この後は4月20日に叡王戦第二局(石川県加賀市「アパリゾート佳水郷」)、同23~24日には名人戦第二局(千葉県成田市「成田山新勝寺」)が予定されており、その前の13日(つまり明日)には一般対局も入っている。全タイトルを独占する者の宿命とは言え、いくら若い藤井八冠でもこの日程は相当きついと思うよ。




「ねえ聞いて、短歌のような詩があるの!」 ウンガレッティを読む君の熱  (まるひら銀水)




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僕の春愁を重症化させるもの ── 夏待日記 令和六年四月十一日(木)

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さえき奎(けい)
黄昏発黄泉(こうせん)行 第38便「黄昏発黄泉(こうせん)行 第38便」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f16, 1/125s, ISO100, WB:Daylight
 本日のトップ画像は、大楠の向こうに沈む夕陽と飛行機雲のなれの果てだ。このトレイルの左側に広がる雲は、飛行機雲から巻層雲(うす雲)が派生し、さらに巻積雲(うろこ雲)に遷移しているところではないかと思う。こういう春らしいぼうっとした黄昏もいいものだよね。何だか「朧月夜」でも歌いたい気分になってしまうじゃないか・・・。と、調子に乗って「〽菜の花畠に・・・」などと口ずさんでいると何故だか泣けてきてしまうんだよね(笑)。これが俺の"春愁悪化要因その1"だ(笑)。

 我が家の桜の開花標本木である裏隣家の公園のように広い庭のソメイヨシノが盛んに散っている。バルコニーに出て空を撮っていると、風に煽られた花弁が桜吹雪となって飛んでくる。開花を確認したのが3月31日、その後寒の戻りなどがあって満開になったのは日曜日か月曜日あたりだったんだが、散り急ぐのが桜の常とはいうものの儚くも切ないものだよね。ハイボールがどんどん濃いめ濃いめになってしまう・・・。これが"春愁悪化要因その2"(笑)。

 岸田文雄総理が、日本の首相としては阿倍晋三元総理以来9年ぶりに国賓待遇で訪米して議会演説を行う予定だ。ところが、10日(現地時間)バイデン大統領との日米首脳会談後の両首脳による共同記者会見において、中国との関係に関する質問を受けた際「同盟国たる中国・・と・・・」と口走ってしまった。慌てて「同盟国たる米国」と訂正したんだが、例えどんなに焦っていようが酔っ払っていようが「同盟国たる」という明瞭・明確な修飾語の後に"敵国たる"「中国」という言葉が来る道理がないじゃないか。しかも英語ならまだしも日本語での発言だからね。通訳も一瞬固まっていたよ(笑)。これなんか、立憲 共産 民主党の蓮舫議員が「中国から息子が帰国したら・・・」と言うべきところを「中国に帰国・・している息子が・・・」と口を滑らせた事件を彷彿とさせるよね(息子さんはれっきとした日本国籍保有者)。これだって、日常的にそう確信していない限り絶対に言い間違いなんぞするはずのないフレーズだよ。そうそう、IOCの バッカ バッハ会長も「ジャパニーズ・ピープル(日本の人々)」と言うべきところを「チャイニーズ・ピープル(中国の人々)」なんてやって顰蹙を買っていたよね(笑)。まあ、このドイツ人のおっさんは身も心も支○とズブズブの輩なんで、頭の中には次の北京オリンピックのことしかなかったんだろうが、人間って、日頃思っている本音や本心がついつい口に出てしまうものだからね。それにしてもムカつく話じゃないか。これが"春愁悪化要因その3"だ(笑)。

 昨日の記事で書いたように、隣家との境に植えてあるレッドロビンがボーボーになって、隣家のエリアにはみ出し始めている。これは嫌でも土日に剪定をやらにゃあかん・・・。これが"春愁悪化要因その4"である(笑)。ということで、俺の春愁はどんどん重症化して行く一方なのであった・・・(笑)。

 仕事の繁忙期は終わったのですが、今週はプライベートな事情により、皆様方のサイトへの訪問やコメントが出来なかったり、遅れたりすることがあります。何ぞとご容赦ください。




風変わる 君は輝き色冴えて反比例する僕の春愁  (まるひら銀水)  (まるひら銀水)




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サニーサイドアップに裂傷負わせた朝 ── 夏待日記 令和六年四月十日(水)

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さえき奎(けい)
春愁を煽り立てる黄昏「春愁を煽り立てる黄昏」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f11, 1/60s, ISO400, WB:Daylight
 本日のトップ画像は、茜色に染まる巻積雲(うろこ雲)だ。ちょっと面白いのは、画像の下の方はノーマルな巻積雲なんだが、上に行くに従って次第に波状(巻積)雲に遷移し、上端部は巻雲(すじ雲)を派生しているように見える。この茜色って、何だか「おーい」とか「バカヤロー!」とか「○ん○○え!」とか「○○っ○れ!」とか叫びたくなるような、そんな春愁色だよね(笑)。

 茜色と言えば、そろそろ我が家の庭のレッドロビンがヤバい状況になっている(笑)。昨年、けっこう強めにバッサリ剪定したことと、3月の異常低温があったりしたので「今春の成長は遅いだろう」などと勝手に決めつけて安心していたんだよね。ところがどっこい、4月に入って陽気が戻った途端にぐんぐんと延び始めた(笑)。隣家の軒まではまだ余裕はあるが、駐車スペース脇の玄関通路側に20cmほどはみ出している。隣家とは極めて良好な関係だからある程度「まあまあ、なあなあ」が通用するんだが、これが神経質な隣人だったら怒鳴り込まれているかも知れないレベルだからね(笑)。ということで、今週末の予定が一つ埋まってしまったよ(笑)。

 昨日所用で出かけた帰り、すっかり定例コースとなったセコマ(セイコーマートの愛称)に寄ってチキンたっぷりペペロンチーノと"ホットシェフ"(セコマご自慢の店内厨房)謹製のすじこおにぎりを調達した。車に戻っていざ帰ろうとしたんだが、すじこおにぎりを手に取った時のあのホカホカ感が頭から離れない。耳元で「お前はこれを家に持ち帰って、前回みたいに晩飯まで冷めるに任せておくつもりか? それって、ホットシェフとすじこおにぎりに対する冒涜じゃないのか?」などと誰かが囁く声がした。はっと我に帰った時には、あのデカおにぎりはどこかに消えていた・・・。不思議だ(笑)。そうそう、"ペコマカード"(セコマの電子マネー機能付き会員カード)も作りましたぜ。しかし、何故"セコマカード"ではなく"ペコマカード"なのか、謎だ(笑)。そもそも、"ペコマ"ってどういう意味なんだよ?




サニーサイドアップに裂傷負わせボヤキ節飲み込んで君に会いに行く朝  (まるひら銀水)




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【五訂版】 There Will Come Soft Rains / 優しく雨ぞ降りしきる [暁にめざめし春の女神すら我らが去りしことをばそれと心づかざらん ── サラ・ティーズデールの詩を訳してみる 第1回]

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さえき奎(けい)
暁にめざめし春の女神すら「暁にめざめし春の女神すら」 Canon EOS 5Ds R, EF24-105mm F4L II IS USM, f16, 1/250sec., ISO100, WB:Daylight

 今年も本ブログ恒例の『やさしく雨ぞ降りしきる』をご紹介させていただく季節となった(笑)。もう読み飽きた、耳タコだというフォロワー・読者諸兄姉の皆様におかれましては、この記事は本ブログ恒例の"生誕祭"みたいなものなので、何卒ご容赦のほどを(笑)。

 この詩をご紹介する度に同じ事を書いているが、今年も「この詩が読まれるべき時は、まさに今こそがふさわしいような気がしてならない」という状況に変化は訪れていない。ローマ教皇のあの「白旗発言」つまり最も強い・・・・のは、国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ」との発言には深い失望を禁じ得ない。教皇庁は慌てて見苦しい弁明をしているが、それを言葉通りに信じる者は決して多くはないだろう。ロシアに自らが率先して白旗を上げているようなものだからプーチンは拍手喝采、高笑いしているだろうが、ウクライナ側が最も強い・・・・のは、善と悪の戦いにおいて両者を『交渉』と称し同じ立場に置くのではなく、善の側に立つ者だ。命を懸けて戦うウクライナと国民を支援するよう強く求める」と反発したのは当然のことだ。来年こそはウクライナに本当の春が訪れんことを!

 これはフォロワー・読者諸兄姉の皆様へのお願いなんだが、是非「森優訳」を音読してみてほしいと思う。この格調高い名訳・名調子を音読することによって、この詩の訴えるところや美しさがよりいっそう感じられると思うからだ。

(ここから記事本文)


 高校時代の話なんだが、英語のリーダーの教科書にサラ・ティーズデール(Sara Teasdale, 1884-1933)というアメリカの女性詩人が書いた"There Will Come Soft Rains"という一篇の詩が載っていた。彼女は、アメリカではよく知られた詩人で、以前はその作品が広く愛読されていたそうだが、近年では文学を専攻する学生でも彼女を知らない者が多いそうだ。日本でも戦後の一時期にかなり読まれていたそうなんだが、残念ながらある程度まとまった翻訳詩集は稀少で現在では入手困難な状況だ。俺はこの詩の授業を楽しみに待っていたんだけれど、この詩が本文のLessonではなくコラムみたいなところにあったためか、先生はあっさりとこのページをパスしてしまったんだよね(笑)。しかし、そのタイトルに何となく惹かれるものがあって、無謀にも自分で翻訳してみることにしてみたという次第だ。



"There Will Come Soft Rains"

Sara Teasdale

(War Time)

There will come soft rains and the smell of the ground,
And swallows circling with their shimmering sound;

And frogs in the pools singing at night,
And wild plum-trees in tremulous white;

Robins will wear their feathery fire
Whistling their whims on a low fence-wire;

And not one will know of the war, not one
Will care at last when it is done.

Not one would mind, neither bird nor tree
If mankind perished utterly;

And Spring herself, when she woke at dawn,
Would scarcely know that we were gone.



 やってみると、比較的平易な英文だったので一応は翻訳の形にはなっているんだけど、読んでみるとどうもしっくり来ない。悲しいかな、これが自分の英語力、国語力の限界かと落ち込んでいたら、しーちゃんがこの詩の翻訳を見つけてくれて、それを書き写して渡してくれたんだよね。その時のことは、今でもはっきり覚えている。しーちゃんは「すごく苦労しているみたいだから」と言って直筆のこの翻訳を手渡してくれた。俺が驚いて「どうしたの、これ?」と尋ねても、しーちゃんはあの「魔女の微笑み」を浮かべて「ブラッドベリの『火星年代記』に載っていたから」というだけだった。しーちゃんはすごい読書家だし、様々な本を読み込んでいるのは知っていたんだが、ネットでちょいとググってみるなんていう業が使える時代ではなかったからね。英米女流詩選などというアンソロジーにティーズデールのページがあったとかいうことならともかく、直接的には詩とは無関係の本からこの訳詩を見つけ出してくれたことはうれしくもあり驚きでもあったんだが、事はそう簡単ではなかっただろうなとは容易に想像出来た。おそらく、俺が四苦八苦しているのを見かねて、微かな記憶をたよりに何冊もの本を当たってくれたんだろうと思う。その後、幾度かこのことを尋ねてみても、しーちゃんは黙ってあの微笑みを浮かべるだけだったんだよ・・・。実は、しーちゃん自身も瑞々しい感性を持った詩人だったので、彼女のことについては改めて書いてみたいと思っている。

 ちなみに英語の先生に教えを請わなかったのは、まあ、何とか自力でやり遂げたいという意地もあるにはあったんだけど、正直いうと英語のS先生とは 何かと反りが合わなかった あまり相性がよくなかったんだよね(笑)。


「優しく雨ぞ降りしきる」

サラ・ティーズデール

(戦時)

優しく雨は降りしきり、土の香深くたちこめ、
つばくろは、微かに翼きらめかして、空に舞う

夜更ければ、よどみにかわず鳴きたて、
あぜのすももは、真白にわななく

駒鳥は焔の羽根を身に飾りたて、
垣低く、きままなふしを歌う

戦さを知る者、ひとりとてなく、
そのいつ終るとも、知る者ついになし

人のうからのなべて絶え果つるとも、
小鳥も草木も、これに心掛くることあるまじ

暁にめざめし春の女神すら、
我らが去りしことをば、それと心づかざらん



(森優 訳)


 前置きが長くなってしまったんだが、それが作家・翻訳家である森優(南山宏)氏の格調高い名訳で、愕然とするような衝撃を受けたことを覚えている。「やっぱり、文語を勉強しないといかんなあ」などと切に思ったものだ(思っただけに終わったんだけれど)。「言文一致運動なんてものは文語を学びたくない怠け者の主張に過ぎない」というのは極論だと思うが、文語が完全に駆逐されず現代でも生き残っているのは、山本夏彦氏が『定本文語文』で述べているように、日本語においてヨーロッパ言語体系の中のラテン語のような位置関係にあるからだと考える。彼は同書の中でこうも言っている。「文語文の詩歌はすべて朗読された」「分からない字句があってもリズムさえあればいいのである。暗誦すること百遍、意はおのずから通じるのである」と。確かにあれから幾星霜を経た現在でも、俺は森優氏の訳詩をすらすらと暗誦することが出来る。おそらく口語訳では、絶対にこうはいかなかっただろう。

 この詩でいう「戦争」とは第一次世界大戦のことだ。アメリカが建国以来初めて経験した大規模な対外戦争で、約200万人のアメリカ兵が連合軍として参戦、5万人以上が戦死、20万人以上が負傷したとされている。往年の名画『エデンの東/East of Eden』や『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い/Legends of the Fall』などで描かれている当時のアメリカの若者たちのこの戦争に対する想いや心理は、"There Will Come Soft Rains"が書かれた背景の参考になるのではないかと考える。

 文語はともかくとして、最後の一節にあるの"Spring herself"を「春の女神」と擬人化した、いや神様だから擬神化と言うべきだろうか、こんな絶妙の訳は「俺には逆立ちしても永遠に無理だろう」とため息をついたんだよね。恥ずかしながら、高校時代に四苦八苦したその拙訳(もちろん口語訳だが)も掲出させてもらうことにする。



「やさしい雨が降ってきて」

サラ・ティーズデール

(戦の時)

やさしい雨が降ってきて、大地は強く匂い立ち
燕はきらめくような声を発しながらくうを切る

夜になれば池の蛙達は歌い
山李すもも白花はなは風に揺れる

駒鳥は炎のような羽根を身に纏い
低い垣根に止まって気ままに囀る

何ひとつとしていくさを知るものはなく
その果てを気に病むものもない

鳥も樹も人がすべて絶え果てようと
それを心に留めはしない

薄明に眠りより目覚めた春でさえ
私たちが逝くことに思いを致そうともしない



(さえき奎 訳 ── しーちゃんに感謝を込めて)


 ご存じの方も多いと思うが、1980年代後半に「春って曙よ!」のキャッチ・コピーでベストセラーになった橋本治氏の異色の現代語訳『桃尻語訳枕草子』を夢中になって読んだものだ。ティーズデールの詩は、その後折に触れて訳してみたりもしたんだが、有り体に言えば乙女チックと感じる作品も多かったのはちょっと意外だったんだよね。そこで、この詩を桃尻語風に訳してみたらどうなるだろうかと思ってやってみたというか、もしティーズデール女史が現代日本のギャルだったらどうなるのかという遊び心なんだけど、やってみたら意外と原詩の雰囲気は失われていないような気もする(笑)。ただし、俺は本物のギャル語など知るよしもないし、いい歳をしたおっさんが、自分だけあげぽよでイミフなギャル語を書いても「おままじFKでとっくにエンドってる」などと塩対応されるのが落ちなので、あくまでも「似非ギャル語」風の訳であることをお断りしておく(笑)。



似非ギャル語風訳 「雨がやさしく降ってるの」

サラ・ティーズデール

(ドンパチの時)

雨がやさしく降りつづいてね、土からはすごくいい匂いがするし
燕なんかチュルルと小さく鳴きながらくるりと回ったりするのよ

夜になったら池の蛙たちがコーラスしてね
プラムの白い花が風に揺れているの

駒鳥なんか燃えるような赤い羽根しちゃって
垣根の低いところに止まって好きに歌ってるわ

あーあ、誰も戦争のことなんか知りゃしないし
いつ終わるんだろうかなんて萎えちゃったりしてないの

鳥だって樹だってもし人間がみんな滅びちゃったとしても
オラシラネなのよ

ようやく巡って来た春にだってね
あたしたちが死んじゃったりしてもシカトされちゃうんだから



(さえき奎子 訳)


 春になると必ずこの詩を想い出す。そうすると、書き写してくれた「暁にめざめし春の女神すら・・・」というしーちゃんのあの筆跡とインクの色と匂いが、今も脳裏に鮮やかによみがえって来る・・・。

  第2回へ行く:"The Solitary / ひとりでいい [花が花であるように、石が石であるように、私は私だ ── サラ・ティーズデールの詩を訳してみる 第2回]  



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